双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

キズだらけ双撃。

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現在好きで使ってる安物中華パッド(確か7000円弱)の双撃N70四核の画面がキズキズになって来た。見にくいことこの上無い。これがiPad miniだったら、「大枚叩いたのにアリエナイ!」と激怒だろうが、大枚はたいて無いので黙って使い続けている。

四核っていうけどホントにクアッドなのか?って疑いたくなるくらい遅い。インストールしたアプリが多くなってくると、分単位で待つことになる。(で、今は最低限のアプリしかインストールしてないし、ブラウザもChromeやめてOperaにしてる。)RAMが512MBしかないので遅いのかと思ってたが、第四世代のiPodよりも遅いのでは。 

それでも、中華パッドだというだけで許せてしまう。元が安いというのもあるけど、そもそもこの製品の成り立ちもユルけりゃ、このハードの使い方もユルい。期待してないし、ワクワクもしてないし、ただその怪しさが面白いかっただけ。その結果、使いづらくても、直ぐにキズがいっても、「まぁ、こんなものか」と許せてしまう。ボロゆえにユーザーを寛容にさせてくれるのだ。結果として、そのユルさがこの中華パッドの魅力になっている。不思議なもんだ。

 

ブログするのに最適な端末は?

最近「はてなブログ」ばっかりしてる。いろんなヒトのブログを読んだり、自分で書いたりしてる。それで何かが変わることも無いし、新たなモノも何も無いんだけど、結構楽しんでいる。ブログ閲覧を「はてなブログ」に限っているのは、それで十分楽しめるから。「はてな」のブログって、私の趣味的にアタリ多い。
その「はてな」サーフィンに使ってるのは専ら7インチの中華パッド。それをランスケープ遣い(つまり横持ち)してブログを入力する時になぜか至福感じる。
しかし、ブログっていう文章を入力するんだったら、大きくて画面の精細さに欠ける中華パッドよりも扱い易い大きさで画面もキレイなiPhoneの方が適しているのではないか。やっぱり7インチと言えども、文章入力を自在にするにはやっぱり大き過ぎるのかも。
これまでは中華パッドできたけど、iPhoneももっと使ってみようか。

iPod(第四世代)を英語ラーニングに使う。

クリックホイール式のiPodを今回英語ラーニングに使うことにした。昨日から早速動きはじめた英語ラーニングだけど、最近使うことがめっきり少なくなったクリックホイール式の白のiPodを使うことにしたのだ。街ではまず見かけなくなったホイール式のiPodだけど、音楽やオーディオ素材を「聴く」ということではハンドヘルドコンピュータ化したiPodtouchよりは使いやすいことも多い。

今回この機械を初期化して(復元して又音楽専用機にすることもできるし)、英語のポッドキャスト専用機にすることにした。これで主にBBCなんかが提供しているフリーのコンテンツを利用することができる。もちろんiPhoneなんかでもポッドキャスティングできるんだが、LTEの接続料を無駄に喰ってしまうので、家でパソコンに繋いでコンテンツを取り込み、それを外で聴くことにした。

まず聴いているのはBBCのニュースやドキュメンタリー。毎日沢山のコンテンツが供給されるが、程度は私には難し過ぎる。それでも聴かないよりは耳慣らしにいいかと思い、聴いてみることにした。言葉だから、その言葉にイマージュされる時間の長さは重要だと思うので。

昨日は久しぶりに「イングリッシュジャーナル」も買った。前には毎月のように買ってたが、今回三年ぶりくらいに買った。確かに英語のコンテンツなんてフリーでいくらでも手に入るのだが、対訳がしっかりあって、インタビューの内容や程度も吟味されているというのはお金を出して買うに値すると思う。ただ1500円分のモトが取れるくらいのラーニングが出来るかと言うと、それは自信ないけど。

こうやって地道に英語仕込んでおけば、女の子と色々英語通じてコミュニケーションできるし、それを夢想してガンバる。

 

「英語」ラーニング、はじめました。

自分でもよくも毎日飽きずにタブレットで駄文を書いているもんだなと思う。でも、テレビを見てて思ったんだけど、私にとってこういう駄文を書くことは、絵描きが毎日朝から晩までスケッチしたり、キャンバスに向かっているのと同じもんだと思った。書くことが目的だというよりも、それが毎日の呼吸のようになっているのだ。欠かすことはできないが、それで何か特別なものが出来ると思っている訳ではないのだ。

 

なんでも書ければいいということで、今回はタブレットとは全くかけ離れたことでも書いてみよう。って、言うかホントはとっても腹立たしいことがあったんだけど、そんなのに真正面から絡め取られたら、向こうと同じことになっちゃうので、なんか楽しいことでも書いて気分変えることにした。それは英語を又真剣に勉強しようと思ってること。

私の英語ラーニングはかなり下心があるもので、根底には女の子と仲良くしたいっていうのがある。英語ほど女の子とスムースに仲良くなれるものを他には知らない。英語ラーニングすることでたくさんの女の子と仲良くなれるし、話題もどんどん深まって仲良くなれる。よく英語は、世界の人との「コミュニケーションツール」だと言うけれど、私にあっては女の子と知り合いになれるツールが英語って感じになっている。そもそもはホントに英語が好きで始めたんだけど、やっているうちにその本質とは違うところに価値を見出してしまって、今に至っている。でも、それって悪いことかな?女の子に何かを無理強いすることなんて決して無いし、英語だってやってる時は英語やそのコンテンツを楽しんでいる。これって文化的って言わないかな?

まぁ、いい。とにかく最近知り合った女の子が英語通じて仲良くなれそうなので、また英語にチカラ入れることにした。しばらく、それで、行ってみる。

中華タブ、、、何なのか、この喜びは?

iPhoneっていうか、Apple製品の質の高さ、佇まいの良さなんかを再認識して、Apple使いに戻ろうとしたが、結局Apple製品の持つスマートさが過剰な消費と物欲の喚起に繋がるということが分かってきて、中華タブに戻ってきた。しかし、それは私にとって残念な選択ではない。確かにApple製品は洗練されているものの、いつの間にかAppleの製品サイクルに自分の「欲しい」欲望が絡め取られている。なんだか自分の物欲さえコントロールされている感じを持つのだ。確かに最新のApple製品を巷で見るのは楽しいし刺激的だが、大枚叩いて自分で買うのは「違うな」と思う。逆にこうやって中華タブを操っていると、なんだかホームカミングした安堵感を覚える。やっぱり自分はこの路線だと確信する。

iPhoneを見直す、、、のをやめる。

昨日、カフェに放置された白のiPhoneを見つけた。バージョンとしては5sなんだけど、とっても神々しく見えた。やっぱりApple製品にはガジェットとしてのしての華がある。これまでは、その華がなんだか煩わしいっていうか、敷居の高さを感じてなんとなくiPhoneを使う頻度を減らしていたが、あのガジェットの魅力を再確認して、もっと使おうと決心できた。自分で買ったものをなかなか使えないなんて馬鹿な話なんだけど、それゆえ安物然としている中華タブレットは自由に使えたのだろう。

 

と書いたのが四日前。その流れでApple製品をメイン使用にすべく動いていた。もう使いにくい中華はやめて、Appleガジェットで行こうと決めていたのだ。とすると、どうだMacブックなんかを買おうともう画策している。アブナイ。アブナ過ぎる。せっかく浪費生活をやめる決心がついたのに十万単位のお金をいとも簡単に使おうとしている。こんなことだったら、まだ中華ファンでいる方がいい。Appleへのシフトは高価買いの戸口みたいだし。それだったら、中華タブファンでいる方がいい。なんか格好つけ出すと際限無くお金を使うことになるだろう。そういうことで私はAppleファンへのカンバックを止めておく事にした。何だかんだでサイフにやさしい中華タブ、あらためてヨロシうお願いします。

タブレットでチープシックに楽しむ。

年末から正月三が日にかけて、これと言った出費も無く過ごすことができた。本屋行って新刊買ったり、レンタルビデオ借りたりしなかったからだ。これも「ミニマリズム」的な発想の賜だと思っている。モノを減らし、無駄な出費をせず、スッキリと暮らす。そうした感覚が無駄な出費を無くしていっている。こうした「チープシック」生活で活躍してるのがタブレットだ。この端末さえあれば大抵の楽しみは手に入る。
ネットが街中で自由に繋がるっこともなく、タブレットスマホも無い時代だったら、こんなチープシックな過ごし方は無理だろう。ネットとタブレット、それにカフェがある種の都市インフラとして充実したからこそ、こうした過ごし方が可能になったのだと思う。

なぜだか中華タブレットっていうのは、ドミトリー生活にピッタリだと思った。ドミトリーでは自分のスペースとしてはベッドだけがあてがわれるのだが、その狭いベットの中で中華タブレット触ってネットするのがピッタリくる。なんでなのかは分からない。