双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

最近はiPhone。

ここんとこ中華パッドから遠ざかってる。心境の変化というか、趣味の変化って言うか、その変遷は下らなくてドーでもいいが、複雑ではある。

ある日スタバでWindowsのノートを開いた。普段そんなデカいもの持ち歩かないのだが、どうしてもその日までに見てヒトに返さなきゃならないBlu-rayがあったので、持ってきたのだ。

コンセントのある席を陣取ってノートを開き、ネットしてたら、なんかコーフク感に見舞われた。同じノートのChromebookではそういうこと無かったので、きっと画面のキレイさが大きく影響してるのだと思う。これは新しい発見だった。それに最近ブログを書くことが多いのでキーボードっていうのはやっぱり入力がスムーズなのだ。フリック入力にはすっかり慣れたと思ってたけど、キーボードの方がやり易いなんていう感覚が自分の中に残っていたのだ。

それでノートを見直すようになった。そのままWindowsノートとかWindowsタブレットに流れていくのかと思いきや、私の場合、その感覚がMacBookをもう一度使ってみたいということに相成った。ノートを見直して外でもノートを使うっていうならMacになるのは、私が元々中途半端なMacファンだったからだ。Appleの戦略に素直に(あるいは愚かしく)ハマって、Apple製品があると安堵する体質になってたのだ。そもそも文章を書くことで自己セラピーすることもAppleのかつてのデスクトップであるMacintosh620075(ベージュMac)で始めたのが切っ掛けだった。

そういう流れでMacBook使うようになると、当然街中で使うガジェットもiPhoneになってくる。実際文章入力よしやすさは中華タブレットよりもずっとスムーズだし。

しばらくはiPhoneで行くと思う。

今使ってる太古なるMacBook

現在持ってるMacBookはもう世に出て11年以上たっている太古機だ。15インチのノートで筺体はシルバーのアルミ。型式名はMA464J 、CPUはIntelCore Duo(2GHz)でメモリーは2GB積んでいる。しばらくはこの太古機を外で使ってみようかなと考えている。

そのMacBookをコンビニのイートインで開いている。なんか幸せな気分だ。スマホタブレットがあるんだからホントはそっちでイイんだけど、MacBookって言うかノートパソコンを開くのに何か幸せを感じる。なんで?だろう。

この喜びを深化させるには新たにMacBookを手に入れるべきなのかな。

題は「MacBook」なんだけど。

お題は「スタバでMacBookを」になってるんだけど、実際はスタバで開くようなMacBookなんて持ってない。あるのは15年も前の15インチのかなりデカい筐体のDVD付きのMacBookだ。それでも出来たら中古でイイからMacBookAirとか欲しい。

これまで中華タブレットがお気に入りだったが、ここに来て急に覚めた。って言うか、カフェでもnotebook開いた方がずっと幸せになれる、ってわかったのだ。ゆったりした気分なれる。ノートパソコン開いたくらいで幸せになれるなら安いもんだ。少々重いけどWindowsのノートを持ち歩くことにした。そして、ノートパソコンを持って歩くなら、もうタブレットは要らない。iPhoneの1台もあればいい。しばらくこの組み合わせでやって行こうと思う。

Shimejiを使う。

中華タブの日本語入力には、Shimejiを使ってる。自分が使っているタブレットが中華だから入力も中華というわけではない。Shimejiはどのフロントエンドよりも使いやすいのだ。

初めてShimejiを使ったのは、モバイルルーターをかつてのemobileで契約した時にタダでくれたタブレット(台湾のnextbook)にインストールされてたのがShimejiだったのだ。このタブレットandroidは2.3だったし、その上に乗っかってるShimejiもそう賢い変換が出来るわけでは無かった。でも、使っているうちに愛着が湧いてきて、2台目のタブレットとしてNexus7(androidは4.2)買った時も入力にはShimejiをインストールした。少なくともGoogle入力よりは使いやすかった。

Shimejiが中国の百度(バイドゥ)に開発されたインプットメソドで、ユーザーに無断で変換情報を中国のサーバーに送り込んでいるということはずっと言われていた。しかし、それゆえShimejiのクラウド変換は限りなく賢くてiOSの日本語変換の上を行っている。最新の用語や言い回しに対応していて「痒いところに手が届く」入力メソドなのだ。

今ではiPhoneでもSimejiを使っている。日本国産ではなく、中華企業がもっとも優れた日本語IMEを開発できたというのは何となく「やっぱダメだな、日本」(日本人以外誰も知らないcoolJAPANの逆)を感じさせるが、実際使いやすいんだから仕方が無い。

 

今日も「電車書斎」する。

今日も電車の移動が多い日で、中華タブで「電車書斎」している。って言っても、仕事してるんじゃなくて、ネットで文章を読んで文章を書いての繰り返しなんだけど。でも、それで取り出したのは、やっぱりiPhoneじゃなくて中華タブの双撃だ。昨日はApple製品に戻って「落ち着こう」と思ったんだけど、いざ電車で手にしたくなるのは、この双撃だ。こんなに中華タブ好きなんだったら、新しいの買おうかな。

この「電車書斎」、しばらくハマってみようかな。これまでハマってたのが不健康な趣味だったり、とってもおカネのかかる趣味だったりするので、この地味だけどおカネかけずに楽しめる趣味、とってもいい。例えば当ても無く電車に乗って延々「電車書斎」するとか。それくらいの趣味なら、いくら凝ってもオッケーだと思う。

今まではカフェを渡り歩いたりしてたんだが、電車では立って「書斎」することもある。でも、それがいい。暖房の効きすぎたスタバなんかいると、頭が朦朧としてくるし。

昨日は断然Macだ、アップルだと、思ってたんだけど、どうしたんだろ?ヘタしたら新しく出たMacBookAir買おうかと思ってたんだけど、今はそんな気になれない。それよりもオシャレじゃないけど、使って楽しい、役に立つAndroidタブレットWindowsのパソコンを使ってた方がずっとイィかも。

カフェ行くならWindowsのノートパソコンもいい。やっぱり大きくて明るい画面でネットするのはテンション上がるし。そう考えると、今持ってるガジェットで十分やっていける。あぶない。又新たにハードを買い足してしまうところだった。

そもそも私がタブレットに走ってのは、自分の浪費趣味を止めるためだった。はっきり言っておカネのムダだ。それで街中のカフェやちょっとキレイなスポットを廻りながらスマホとかタブレットしてたけど、結構それもお金がかかる。でも、「電車書斎」ならそんなこともない。今だって駅のプラットフォーム上にある待合室の中で書いてるんだけど、十分やっていける。こういう場所をいっぱいチェックしておいて回るってどうどろう?

電車の待合室で、携帯ラジオ聴きながら、延々とタブレットしてる。ちょっと寂し過ぎる光景だ。でも、いいぢゃないか、十分それで楽しいんだから。しばらくコレで行ってみる。

タブレットを携えて生きる。

昨日は一日殆ど電車に乗って移動する一日だった。大変だったかというと、そうでもない。むしろ、電車に乗ってるってことは私にはとっても快適なことだと改めてわかった。「ノリ鉄」ってことじゃないんだけど、電車の中は私にとって快適な「書斎」なのだ。それは前から思っていた。特に始発とか極早朝の電車は空いていて、何かを書いたり考えたりするのにピッタリなのだ。でも、昨日の経験からすれば、お昼でも混んでても、まとまった時間を電車の中で過ごすのであれば、そこは私にとって快適な書斎になる。自宅の机よりもずっと集中できる気がする。

で、これから意識的に「ホームレス書斎」やってみようかな、って思う。すでにカフェや街中のスポットを渡り歩いたりしてるんだけど、けっこう移動のための交通費やカフェなんかにおカネがかかっている。それをもっとゼロに近づけることをやってみようと思う。「ホームレス」なんだから、あっこっちでおカネを落とすようなことはするべきじゃない。

昨日の経験からすれば、中華タブレットに、ルーター、それにモバイルバッテリーがあれば、一日楽しくやっていけるもんだ。それをしばらく実行に移してみたい。

iPhoneでトグロ巻く。

最近メイン使用がiPhone(Sでもない、ただの5だけど)に戻ってきてる。きっかけはiPhoneから多くのソフトや垢をアンインストールしてiPhoneを(心理的に)軽やかにしたこと。経験的に何でもかんでもインストールしたり、アカウントを増やしたりすると、心理的な重みからいつの間にかそのガジェットから遠ざかってしまうことが分かってきた。ネットラジオに特化した古いiPodやネット端末に限ったタブレットがすごく使いやすいし、端末に愛着が湧くことから、ガジェットっていうのは「何でもできて何でも込み」っていうのは端末から軽さを奪ってしまって、それを「使えなく」してしまうようだ。私の「ガジェットライフ」にはミニマリズムが必要だ。

そうやって「軽やかにした」iPhoneでネットしながらテレビ見るのが楽しい。あまりにもフツーで非生産的な楽しみ方だけど。(「引き籠り」の一歩手前?)

でも、こうやって私は終始ネットで何かを書いて、誰かが書いたものを読んでいる。それが癒しになってるんだけど、言ってみれば終始自分を癒してるみたい。これってどこか不健康だと思うけど、でも、楽しい。しかも、とってもチープに楽しめて、しかも精神的な満足度は(今のところ)高いのでこれはこれでイイかとも思う。今までソーシャルした楽しみ方おおかったんだけど、やっぱりそれってオカネかかる。「それも必要」って思ってたから出費を痛いとは思ってたけど、今はそういう感覚は変わってきている。

しばらくはこんな風にiPhoneでトグロ巻いて寛ぐことになると思う。