双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

双撃S四核を初期化した。

ここんとこ中華パッドの双撃S四核のネット使用時のスピードがとてつもなく遅いので初期化したすることにした。前に使っていた中華パッドのnextbookもどうにも使い物にならず、初期化してデフォルトのブラウザによるネット閲覧の専用機にしたら、かなり使いよくなったのと同じだ。やはりメモリが512MBと最小限のスペックしか持たないものはアプリをマルチに使うなんて無理なのか。(旧型iPodではそうでも無いのだか)

それでしばらくはGoogleのシェルをインストールもせず、出来るだけ素のままでこのタブレットを使うことにした。本当はブログ入力もブラウザ上からしようと思っていたのだが、かなり不自由するので仕方なくブログのアプリはインストールした。それでも重いとなれば、ホントにブラウジング専用とするしかない。

ここまでしてナゼ自分が中華タブレットに拘るのか分からない。サッサと中華タブなんて止めてしまえばいいのだ。なのに、こうやって「中華」に拘っているのは何なんだろう?それほど中華タブが私のリリーフになってるのは確かだ。

ノートPCの良さ・タブレットの良さ

ここんとこ「Macをスタバで開く」という通俗的スタイルに入れ込んでたけど、「Macやっぱりイイ」と感じる一方で、タブレットの良さを再認識することも多い。
例えば、コンビニのイートインに入った時(よく行く)なんかは、ノートPCを開ける感じではない。バスや電車でもそうだ。ノートPCを開くには、それなりに落ち着いた環境が必要であり、カフェのような場所で過ごす時間に「合う」アイテムなのだ。
マクドナルドもよく行くスポットだけど、ポテトやハンバーガーを触って脂ぎった指でMacBookを触るのも躊躇する。こういう時もポテトやハンバーガー食べながら触れることも平気な「安物」タブレットの強みを感じる。あらゆるシュチュエーションで使えるのが安物タブレットの強みだと言える。本当を言えば、どんなに高い(と言っても自分が買えるものだから値段はしれているが)端末でも所詮道具なんだからガシガシ使えばいいのだが。

コンビニでタブレットをイヂる。

「コンビニでタブレットをイヂる」か。何て安っぽく悲しいシュチュエーションなんだろう。さらに当の本人はそこはかとなく幸せまで感じてるんだからよけいに哀れだ。まぁ、いい。虚しさを紛らわしたくて無意味に散財し、それでも満足が得られないというよりは良しとしよう。

ここんとこMacに入れ込んできてたけど、中華タブレットの良さっていうのもわかってきた。それは、マクドナルドなんかでポテトやハンバーガーなんかつまみながらネットする時はMacはちよっと開けない。脂ぎった手でMacはちょっと触れない。でも、これがタブレットだったら、躊躇無し。この気楽さって大切。「道具」っていうのは、使いたい時に自由に使えるもんじゃないと。その意味でMacは道具としての成り立ちを逸脱している。それがMacの文化性であり、単にツールとして捉えられないMacの個性なのかもしれないが、やっぱりネットしたい時にネットできるガジェットの方が実用性の点で優れているのは確かだ。

実際、マクドナルドでは、この双撃(n70四核)を使ってたし、セブンイレブンのイートインでも、MacBookは出さずに双撃とかiPhoneでネットしてた。この「使い勝手のよさ」「ハードルの低さ」が中華タブレットの魅力だろう。

中華でやり直す

ここんとこMacMacで来て、ちよっとやり込み過ぎ。ゲームボーイにハマった小学生みたいに、それしかやらないし、考えてない。Macの虜になっている、つまり囚われているのだ。こんなに不自由なことになるんだったら、前みたいに中華タブでガシガシやっている方が自由だ。ドミトリー生活にも合ってるし。ミニマリスト的にスッキリやりたいと思っているのにコレじゃ何してるのか分からない。ちよっとマックから離れよう。おカネ一杯使った後で勿体無いけど。

シンプルライフっていうのは、モノがあり過ぎると出来ないな、やっぱり。私の場合だったら、Macどうのこうのっていう拘り捨てて中華タブレットで自由に文章書いてるくらいがいいんだろう。

 

マック熱に浮かれる。

「最近自分の中で絶賛大ブームになっているApple熱だけど、本当アブナイことになっている。新たにMacBookを買い増そうとしているのだ。新たにノートパソコンを買い増す理由など何処にも無い。なのに10万円くらいは平気で使うつもりでいるのだ。

そもそもブログを書くために必要なガジェット(仕事はChromebookでしかしない)なのに、そんなもんに何故10万も掛ける気になったのか。ブログで稼げ出すほどのブロガーならまだしも、わざわざブランドのノートパソコンをカフェで開いて喜びに浸るなんざ自己満足も甚だしい。

それを全て承知と言うならそれはそれで論は成り立つが、自分でも何がしたいのか良く分かってないのだから、そんなノリで新たにパソコンなんか買うべきぢゃない。こうやって中華タブの画面ガシガシして文章入力してるのが現実的でマトモだというもんだろう。」

 

と言ってたのに、結局沸き立つ欲望に勝てず。中古Macを買う手はずを打ってしまった。それも2台もの中古Macを。私の場合はスタバでMac開いている自分をアピる趣味は全く無いが、Macを触ることがホントに癒しになっている。何故そうなのかは自分でも全然わからないけど、まだ自分がベージュMac(PowerPCを積んだデスクトップ)を初めて触ってからそうなのだ。なぜかAppleコンピュータで文章を打っていると「救われる」のだ。Windowsではダメだし、他に私は自分を癒す手段を知らない。そういうマック熱が又再発したのだ。ハッキリ言ってバカらしい。なんでコンピュータなんていう商品が自分の在り方を左右するのか。それだったら、サーファーが「このボードでなきゃダメなんだ」とか調理師が「この包丁でなきゃ有り得ない」っていうのなら分かる。それが何者でもない人間が「Macで文章打たなきゃ癒されないんだ」ってほざいても何の説得力も無い。でも、私としてはどうしてもMacが必要で今回の高価な買い物を後悔してない。ハマるにしてもヤクとかギャンブルよりはマシだろう。最後はそう言い訳することにしている。

Mac熱に罹患してた。

前から同じようなことを書いているけど、ホントMacにイカれてきている。新たにMacbook(15インチのPro)を買うつもりでいた。(中古でだけど。) 10万円くらいは出すつもりでいた。 昨日だって15インチのMacbook(2006)を持ち歩いていたのだが、ちょっと重過ぎる。それでもスタバで開く古Macには喜びを感じた。

そもそも私をMac熱に導いたのは、Windowsノートだ。ヒトから借りたBlu-rayを見るためにスタバにWindowsのノートをスタバに持ち込んだのが切っ掛けだ。スマホタブレットでネットしたり、文章書いたりするよりもずっと快適なのだ。何か新しい発見をしたようだった。大げさだけど。「これからコレでいこう」と思った。それがどう変わってMacbookになったのかは忘れたけど、

しかし、一日Macをイジってたら、さすがに飽きてきたし、冷静に考えたらWindowsとデキること全く変わらないってことも実感できるようになった。それにまた15インチのMacbook買って(2011か2012買おうと思ってた)、あの重い筐体を毎日持って歩くのはどうか。

Mac趣味回帰に抗する

今日はわざわざMacBook、それも重量の重いProを持っていこうとしていたが、やっぱりやめておいた。いつの間にかMac趣味に戻って来て、今使ってるMacBookが古すぎる(機能的には決してそんなことないが)ので、銀行行っておカネ下ろしてもっと新しい機種を買おうとしている。ネットで中古がどれくらいするのかチェックしている。これはアブナイ。又ムダ買いを始めようとしている。

それで意識的に又中華タブとWindowsに戻ることにする。そうでないと今日にでも10万円使ってMacBook買ってしまうと思う。せっかく一万円もしない中華端末で満足していたのに、ここでMac趣味は止めておきたい。改めてこの中華タブで文章書いてみても決して悪くない。ここでMacBook買ったりiPhone6買ったりムダ過ぎる。

それで今回は中華タブとWindowsノート連れ出して来た。今日は何気に電気店街にMac買いに行こうとしていたけど、それも止めておく。なんなら新しい中華タブ買ってもいい。それぐらいMac回帰あぶないと思うようになった。