双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

双撃の調子を取り戻す。

私の「愛用機」双撃がとてつも無く重くなっていた。その中華感・安物感あるいは軽さから私の必携アイテムになっていたのだが、ここに来てどうにも使いづらくなった。まずサイトを読み込んで表示されるまでに途方も無い時間がかかる。最近、調子に乗ってGoogleNOWをインストールしたのがイケ無かったみたいだ。Google関係は便利だが、パワーを必要とするアプリが多い。

それで、そういうのを一切合切アンインストールした。すると、かなり軽くなった。この双撃みたいにメモリーがホントに最低限度にしか搭載されてないものは、できるだけアプリのインストールを控えた方がいいかも。

でも、こういう「安物」タブレットって、触れば触るほど愛着と楽しさが湧いてくる。一体どういう訳なんだろう。それと同時にちょっとしたことで「待ち」状態になってしまう貧弱スペックを感じたりすると、やっぱり「中級機」と言えるくらいのタブレットを持つべきかなとも思う。

 

ムダでダラダラしたことを書くのは

ムダでダラダラしたことを書くのをやめてみた。つまり、ガジェットについてGoogleNOWで読んで、自分の持つ安物タブレットや中古スマホなどについて来る日も来る日も同じようなことを書くのをやめてみた。その代わり、タブレットで読んだNEWSを引っ張ってきて自分なりのレスポンスを書いたり、それなりの文章を書いたりしたけど、「ヤッパリ何か違う」。
ココロが休まらないのだ。
例えばニュースについて自分なりのレスポンスを書いたとしても、それなりにまとまりのある文章、ヒトに見せる文章を書かなければならないと思うのだが、これが私には「新たな拘束」に感じられる。
「〇〇しなければならない」ということから逃れるために「ガジェット生活」を送っているのに、これじゃあ意味を為さない。もっと「ダルい」モードで行けるようにしないと、立派な仕事になっている。
前のように「ムダなこと」を延々と「ダラダラ」やっているのがいいのかも。ちょっと考え直そう。

ブログするのに中華はちょっと、、、、。、

ブログを書くスタイルを少し変えて、純粋な日記スタイルじゃなくて、自分がメディアからインスパイアされたものを引っ張ってきて、それについてコメントする、っていうことをしてみた。
ニュースソースとなるサイトやブログと自分が書いているブログとを往復することになる。そういう作業を繰り返すと、大きな不都合が二つ見つかった。

一つは私が気に入って使っている「中華タブレット」ではメモリ(RAM)が小さすぎて、フリーズしたり落ちたりしてつかいものにならないのだ。同じことしても、XperiaiPhoneではそういう不都合は起こらない。やっぱりRAMは2GBは要るみたいで、512MBしかメモリーの無い「双撃n70」ではかなり無理があるみたいだ。
それでも、「双撃n70四核版」は私のメイン使用機だ。この7000円足らずの貧相なスペックのタブレットのどこがイイのなよく分からないけど、多分「安いのに結構使える」というのがいいし、何よりも「安物だから気を使わずにガシガシ使えてしまう」もいうのが一番の理由だろう。「大切に扱わなきゃならない」「キズをつけてはならない」なんて言うのは私には多分最悪な事なんだろう。

双撃日記で書くテーマを変えようかな。

この「双撃日記」は専ら私のガジェット熱っていうか、ガジェット依存のことを書くために続けてきたが、ついこの数日後新しい気晴らし(って言うか、「癒し」?)を見つけた。

それは私の理屈好き・相手を論破することへの拘り、あるいは政治的な確信(大体は単なる思い込み)をブログなんかで発散するのだ。もちろん、それらの執筆は「モブログ」として行うので、タブレットも存分に触れる。

この趣味のイイ所は、まず私の「偏執狂」的な性向を発散できること。この厄介な私の性質は出せば誰かとトラブるので、いつの間にか私は自分の尖った部分を無力化することを習慣にしてた。しかし、それを今、ある意味認められた形で発散できるのだ。

第2の良いところとして、こういうブログ執筆を次から次へとやっていると、結構勉強していることになるのでアタマの機能の維持にはイイ。大学でレポート書いていたのと同じような毎日になっている。

 

そんなこんなで、タブレットに触るべく色んなことを書いてみようと思っている。

 

史上最強の朝食

最近気になってたメニューを食べた。それは「松屋」のソーセージエッグ定食だ。ここんとこよく聴いているポッドキャスト番組「ラジオ食堂」で、この「ソーセージエッグ定食」を「最強の朝メニュー」として紹介してたので、ぜひ食べてみたいと思っていたのだ。

今日は仕事は無いけど、街中に出る用事があったので、そのついでに松屋に寄ってみた。

自動販売機で食券を買い求め、ここに来たらよく座る「定位置」のカウンター席に座り、券を差し出した。

ほどなく出てきたのは、かなりのボリュームの朝定食だった。これが「マクド」だったら、メニューの名前の割には貧相な「物体」(私は美味しく頂いてます)が出てくるが、これはちゃんとした「朝ごはん」であり、れっきとした「定食」だ。

まず、ごはんの量が大盛りを頼んでないけど結構多い。そして、しっかりと具の入ったお味噌汁。そして、メインディッシュのソーセージ・目玉焼き・グリーンサラダ(キャベツの千切りにレタスの破片を散らしたもの)、最後にオプションで頼んだ牛皿で構成されている。これらが400円だったら文句はない。それなりにハラも満たせて、元気に一日のスタートを切れる。

味はどうかと言うと、「おいしい!」というほどのモノではない。予定されたソーセージの味であり、目玉焼きであり、牛皿の味だ。キャベツは丁寧に切って(下ろして)あるかなと感じた。

   そもそも朝から「おいしい」ものを食べる必要などあるのか。もう1回食べたいかと聞かれると、朝ごはんを外で食べるのならココにくるかもね、というぐらい。今日みたいにコレだけを食べに来るということはないだろう。

   しかし、このメニューを400円で提供するするには並々ならぬ企業の努力があるのだと思う。コンビニなんかにも充分勝てると思う。前から気になってたメニューが食べられて良かった。

 

私の望む端末

自分がどんな端末を欲しているのかと言うと、「手荒く扱ってもオッケー」な端末だ。キズとか何とか気にしないで、自由に取り出してガシガシ使って、それで初めてその端末に愛着が湧く。逆にその端末に気を使ってばかりだとホント使い辛くなってくる。一言で言って「自由の無い」端末になる。そんな感じだ。そういう点で、この6980円で売り出してた「vido原道 N70四核版」は、結構愛着持っている方だ。RAMは512MB,ROMは8GB。ホント、ショボい。でも、気がついたら、この安物中華なんてタブを嬉嬉として触っている。一体何なんだろう?と自分でも思う。「安物」って、気兼ねなく使えるからか、なんでか楽しい。そもそも中華なんて前部やすものなんだから、気兼ねなんて全く要らないはずなのに。いや、AppleiPadにだって気を使うなんて本来はバカバカしいこと。でも、高い金払って、整然とした製品のたたずまいを見ると、やっぱり気を使っている。いわゆるビンボー根性というやつだ。そういうビンボー根性の私には、この「双撃」がピッタリなんだろう。

     それで私が双撃で何をしているのかと言うと、殆どがブログに文章を書くという行為だ。実は七つぐらいのブログをやっていて、ほんとムダだし、意味無いんだけど、ネットやコンピュータで文章を書くという行為かこの上なく私には「癒し」になっているのだ。私がブログに文章を書いている時の脳波を測ったら、きっとアルファ波みたいなものが出てると思う。

 

 

バスの中ではタブレットなんてデカ過ぎると思ってたけど、こうやって(今、まさにバスの車中)タブレット触ってても全然オッケーだ。

昨日なんかHuaweiのP8買おうかな、と思ってたけど、それだったら、この前赤札天国で見た9000円タブの方がいいかも。画面はデカいのに解像度はかなり低い。しかし、androidのバージョンは6で、かなり新しいものを積んでいる。自分がスマホタブレットでやっている事を考えたら、android4.4でも十分なんだけど、一度6なるものを触ってみたい。確か9000円しなかったと思う。最近ポチったばかりなのに、又ガジェットのムダ買い病が始まったか。不思議なことに、iPadとか高級品には全然食指が動かないんだけど。

 

    

 

 

癒しのガジェットたち

少し前まで心身ともにかなり病んでたから、今の何気ないケンコーって言うか、フツーの状態がものすごく有難い。
で、思うんだが、私の場合、スマホタブレットが心身の健康への貢献度ってハンパ無いと思う。
私の場合、仕事とか勉強とか「しなければならない事」や他人の意図に従って動くことがホント苦痛(つまり社会的役立たず)なんだけど、スマホとかタブレットあったら、かなりその苦痛から解放される、って言うか、むしろ「幸せ感」さえ得られることができる。なぜかはよく分からない。
つい最近まで、そのガジェットをもっと絞り込もうと思っていた。現在のところ、スマホからタブレットandroidからAppleまで、ありとあらゆるガジェットがある。パッと見スンゴク無駄なので、それらを絞り込むことにしたのだ。
最近の通勤時はiPod touchの第四世代を使っていたのだが、大きさ軽さはベストなのに、もう古くて今のアプリやネット環境に耐えられず、スグに落ちてしまう。
それで、もうiPod touchネットラジオ専用機にして、ウォークマンみたいに使おうと思っていた(もともとのiPodってそういうオーディオ機器だったんだから)。
しばらくはタブレットで行ってみた。確かに悪くは無いんだけど、やはり町中バス中では大きすぎる。片手で扱えないし、カバンから取り出すのに既にシンドさを感じる。
そういうのを何日か感じてiPodに戻ってみたら、ものすごく解放感感じた。私がガジェットに求めていたのはコレなのだ。Retina画面が美しい。「イイなぁ、Apple製品は」とつくづく感じた。