双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

数学が必要な未来。

これからは数学の時代であり、誰もが数学を学ぶべきだという会社経営者のインタビュー川上量生カドカワ社長「数学を諦めることは人生を諦めることと同じ」 | 『週刊ダイヤモンド』特別レポート | ダイヤモンド・オンラインを読んだ。確かに「知る」ということ、本当に分かるということは、人間の根源的な欲求になりうる。ただし、手放しでそのような欲求を持つものは少ないだろうが。とにかく、面白いインタビューだった。

今日はiPhoneな気分。

私の人生の殆どはスマホタブレットなどの端末を触ることで消費されている。聞こえとしては好ましく無いが、もしスマホなどのガジェットが無ければ、もっとムダなことにお金と時間を使っていたと思う。それで「まっ、いっか。」と自分に言い聞かせる。

今日はiPhoneな気分だ。iPhoneのイイところは、そのモノのもたらすスッキリ感。ギクシャクしたところや煩瑣な感じが無い。

今朝はバスに乗りつつ「白ロム転売法」白ロム転売法というエキサイトブログを読んでいる。なかなかに読み応えのある内容だ。ちゃんと中身が詰まってる。時々、オシャレ系のブログなんかでは、3行のうちの1行に10文字ぐらいしか書かないでスペースを埋めているブログがあるけど、中身的にはツイッター以下なのがある。ムリにブログ更新をすすめるためか、書くこともないのにやっている感強くてガッカリさせられる。

メルカリ不調。

私はメルカリやヤフオクてよくモノを売りに出している。そのメルカリの方がどうも最近調子がおかしい。売れたモノを発送する段になって、バイヤーの住所を確認しようとすると、送れない文字を含む文字を送ろうとしているのでメッセージは遅れません、みたいな表示が現れてニッチもサッチもいかない。そういうのが1度や2度ではない。前はこんなこと無かったのに、今は結構起きている。アプリとOSの差が何かあるんだろか。

最近の贅沢三昧。

最近贅沢三昧している。ただし、私のこれまでの生活に比べての話だが。コンビニで自分の好きなように第3のビールではなく、本当のビールが飲める。決してシャレた店で飲む訳では無い。せいぜいコンビニのテラスでビールを呷る(あおる)のだが、私には革命的な出来事なのだ。
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モノラルラジオから流れるスティービーワンダーを聴きながらブログを書き、京都麦酒を呷る。この上ない贅沢であり、慶びだ。

HuaweiP20liteは欲しいけど。

iPhoneX ライクなHuaweiP20か20liteが欲しい。ああいう画面のスマホを触ってみたいのだ。でも、本当に新たに買うほど必要なのかと言うと、そうでもない。今ある端末で充分やって行ける。

まぁ、新しい端末を買うのはやめておこう。今でも使い切れないほどの端末があるのだ。ところでこういうブログに文章を書くのに私が使っている端末は専らAndroid、中でもXperiaだ。私の中ではAndroid機種っていうのはiPhoneに比べて洗練度が不足はしているが、実際に使っみるとiPhoneよりも馴染んでくる、っていう印象だ。iPhoneはカッコ良いんだけど、どこか融通が利かず、スマしている。そんな印象だ。

最近の(((o( ˙-˙ *))o)))

久しぶりにXperia、それもかつての「ツートップ」であるSO-04という太古機に戻ってきた。やっぱりこのXperiaの触感はいい。和む。
このSO-04が良かったので、Xperia-Xコンパクトを買ったのだが、どうもこのSO-04ほど馴染めない。この質感というのは、その機種個別のものであって、OSみたいに新しければイイというものでは無いようだ。
さて、最近の私の楽しみと言うのは定番化している。仕事の帰りにコンビニ飲みするのだ。缶ビールとおつまみを買って、それをやりつつラジオをイヤフォンで聴きつつ新聞や本を読む。これが至福なのだ。ちょっと前までは女の子誘って、ちょっと気の利いた所で食事・会話っていうのがスゴく楽しかったんだけど、今、そういうのは何故かしなくなった。
何よりも安上がりだ。300円で結構楽しめる。600円出したら贅沢できる。こんなのはお店に入ったらムリだろう。
イートインのような室内スペースでのアルコールは禁止されているので、外でそういうことをする。殆ど浮浪者みたいだが、この戸外飲みっていうのが結構いい。解放感があるのだ。前にスーパーのイートインで飲み読書やってみたが、どうも楽しくない。閉塞感があるのだ。それでそういうことをするのは戸外で可能な所ですることにした。
新聞の書評なんか読んでると、読みたくなる本が結構ある。そういう本は、最近Amazonで買っている。前なら本屋へ出かけて、立ち読みして、吟味して、良ければ買い求めるということになるのだが、ネットがそういう「古風」なスタイルを変えてしまった。又ネットのいい所は、中古本を買える、ってことだ。新刊本で無ければ、送料だけで買えてしまったりする。街の本屋さんが潰れる訳だ。本屋さんは街の文化度を示し、人々の潤いになるので無くなってほしくないとは思ってるが、実際には本屋を見捨てるようなことをしてる。むずかしいな。

ゲノム解析って?

朝、仕事に行く前コンビニに行くのが日課になっている。帰りにも寄る。私は正真正銘フラリーマンだ。しかし、飲み屋やキャバに寄ったりする訳ではないから、毎日寄ったところで知れている。月に1万5000円ほどになろうか。

コンビニに寄ったら、何か聴いているし、何か読んでいる。それが私の癒しなのだ。

新聞の書評は特に好んで読む。書籍もよんでいるが、大抵Amazonで買った中古だ。

今、読んでいるのは先週土曜日の新聞の「こうろん(耕論)」だが、そこで「ゲノム解析は私の世界をどう変えるのか?」の著書 高橋祥子さんの寄稿を読んだ。最近自分の唾液なんかから安価に遺伝子解析して健康アドバイスくれるのは知っていたが、あれは言わば「サービス」であって、本当の目的は、より多数のゲノム(全遺伝子情報)を集めることらしい。ゲノムの研究には膨大なデータが必要であり、1万人のゲノムを集めるとなると5億円から10億円、必要になってくるらしい。

そうか、「あなたの遺伝子解析いたします」という触れ込みは、誘い水であって、ホントの目的は膨大な遺伝子情報の収集なのか。

そういうのを聞くと、自分も「遺伝子解析」なるものを受けてみようかなとも思う。本来なら払えないような経費が必要なので、会社のデータ収集という利益が向こうにはあるので、安く受けられる仕組みになっている訳だ。

ゲノムなんていうのは、個人情報の中でもトップクラスになると思うのだが、市井の一介の人間には大した問題では無い。