双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

結局どうなんだろう。

昨日、危うく20万円のMacBook(2017店頭品)プロを買う寸前まで行った。電器店の前にあるコンビニでお金を下ろし、「これ下さい」まで店員さんに告げた。しかし、そのMacBookは店頭品で、そのリカバリーに2日ほどかかるので即納はムリみたいなのだ。そこで肩透かしを喰らったことで、目が覚めて散財することにはならなかった。もし、買ってたら20万以上の出費だった。カミ様が「その散財はよせ」とされたんだと勝手に解釈することにした。

 

なんか無性にノートパソコンが欲しくなってるのだが、どういうことだろう。ホントにそれで私の生活はどうなるだろう?その辺はあんまり考えていない。

 

実はつい先日7万4000円ほどで、iPhoneXの中古を買っている。随分散財づいている。自分としては、「これ以上ブツ欲を抑えると、完全にビョーキになってしまう。もうこうなったら、買ってしまおう!」と思ってるのだ。

去年の暮れから、なんかイラついていて、常に物欲に駆られてる。根本的な原因は分からないが、そのイライラさが更に鬱を引き起こしてると感じてる。

その物欲を逸らすために、フーゾクに行ってみたり、酒を飲んだりするが、鬱屈したものは晴れない。つまり、私の物欲は性欲や酒好きよりも頑強かつ根本的なものなのだ。

で、私は自分の物欲を解放する事にした。

それが昨日のMacBook購入だったのだが、本当にMacBookで良かったのかどうかは疑問。むしろ、他のものにした方が良いのかもという思いがある。

さあ、どうしたものやら。

Androidで行きたい。

これからはエコシステムのシッカリしたAppleで行こうかと思っていたが、やっぱりAndroidで行くことにした。何でかって言われても説明出来ないが、やっぱりAppleは高いし、志が高すぎてついて行けないところがある。Androidの方が等身大で使える安心感みたいなのがある。iPhoneが悪いってことでは無いのだ。

でも、Huaweiとか中華のAndroid端末ってイイ。そういうことだ。

論文なんかを書いていると。

大学のレポートを書いていると、やっぱりフリック入力よりも物理的なキーボード入力の方が何かと捗ることがわかってきた。それで新しいMacBookを買うとか、Surfaceを買うとかいうことになるんだけど、こうやってBluetooth接続のキーボード(今使っているのは、Macのマジックキーボード)を少し大きめの画面を持つAndroidスマホに繋ぐだけで、十分仕事が進むことがわかってきた。

中華タブに帰る。

アブナイ。全てApple製品にして、MacBookや新しいiPhoneを買うところだった。やっばり私は中華タブなのだ。そこに戻らないと。


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今、トランジスタラジオでAM放送を聴きながら中華タブしてる。至福だ。リラックス出来る。アタマの緊張が解ける。嬉しい体験だ。

やっぱり、こういうのが無いと私はムリ。キッチリ固めたAppleのエコシステムは勿論、MicrosoftSurfaceとかも、実は私には合わないのだ。何回も言うが「私は中華タブ」なのだ。このイイ加減さ、この怪しさ、このテキトーさ、全てが素晴らしい。

色々試して見たけど。

今までの私のイメージとしては、論文書いたり、オンラインラーニングするなら、あるいはポッドキャスト視聴はiPhoneだと思っていた。

しかし、実際にiPhoneMacBookなんかでレポートを書いていると、「どうやらiPhoneでやってる事はAndroidでも出来るなぁ」ってことが分かってくる。

最近の私はブログサービスを使って論文の下書きを書いている。それだとウェブブラウザ上で出来るので、どの端末でもどんなOSでも書けるようになっているのだ。ワープロやメモのアプリは使わなくなった。参考資料もブラウザで見るわけだから、基本論文作成はブラウザがあれば十分だということになった。

それから、最近見つけたのが、ポッドキャスト用のGoogleアプリもリリースされてて、iPhoneぢゃなきゃということはなくなった。

そうなってくると、Huawei(Android)とSurface(Windows)でもイイかなと思えるようになった。

 

安堵の道具としてのAndroid

Androidのダメぶりが分かったからと言って、Appleに全面的に移行するのかと言うと、多分ノーだ。使いづらいとか機能が劣るからと言って、なんら問題では無い。

ホント、この辺を説明するのが難しいけど、怪しくて何か不足してるからこそ「使いたい」とさえ思っている。

iPhoneは素晴しい、Appleのエコシステムはカンペキだ。だからと言って「スキ」にはなれない。「スキ」だらけで抜けているAndroidの方がどうも使っていて快適なのはどういうことだろう?どこかに特殊な美意識が働いているんだと思うんだけど。

 

ダメ端末としてのAndroid

今回の実験で、新聞スキャナーとしてAndroid端末は使えないことが分かり、端末としてのiPhoneとの差は致命的な差となった。

それで私がAndroidを全面的に捨ててしまうのかと言うと、そうでも無い。むしろ、ダメ端末だからこそ、可愛くなってくることもあるのだ。

確かに論文書いたり、新聞をスキャンしたり、何か学んだりするのは圧倒的にiPhoneなのかもしれない。しかし、ふだん遣いでただダラダラとネットしたり、愚にもつかない内容の文章をブログやTwitterで垂れ流すならAndroidの方が気楽でイイではないか。

Androidの最大の魅力とは、その怪しさであり、使えなさ、安っぽさなのだ。