双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

双撃がなんでイイのか。

「中華」パッドって使ってて何かとストレスが多い。だから、さっさとそんなものにかまけるのやめてiPadでも使えばいいのに、そこから逃れられない、って言うか、やっぱり「中華」がスキで触っている。
ところで、私が年がら年中触っているタブレットは、私の生活を「加速」させてるのか、それとも私の生活の「足かせ」となっているのか、どっちなんだろう。私の感覚の上では、この7000円にも満たないタブレットはとてつもなく大きな働きをしている、と感じてる。例えば、仕事で作成する文書の文案(っていうか文章そのもの)は、このタブレットでやっている。職場では与えられたノートパソコンがある(新しいワードもエクセルもインストールしてある)のだが、あまり使う気になれない。それよりも職場を離れてカフェなんかで、文章を書くためにタブレットを触っている。要はタブレットを触りたくてしょうがないのだ。
そういう私だから、前述の質問もあまり意味が無いかもしれない。どういう答えが出たってタブレットが私には必要なのだ(完全な中毒!)。
あと、タブレットを触ることで結構「精神的安定」って得られていると思う。もしかした
ら、私はもっとストレスに起因する食べすぎや飲み過ぎ、あるいはビョーキなんかになってたかもしれない。でも、コンピュータを知ってからは、普通ヒトには話さないような、つまらないことをダラダラ書き続けている。悩みとか不満なんかを書くことは決して無いけど、そういうダラダラした「陳述」が私に限りないココロの安らぎを与えていると思う。そのことには前から気づいていて、それを「文書セラピー」って呼んでいるんだが、そのセラピー効果を高く持っているハードとそうでないハードがあるみたいで、前はベージュの中古マックだったが、今はそれが中華タブになっているという感じだ。どうやらあんまり洗練されすぎてるのはダメみたいで、どちらかと言うとセカンドハンド的な手垢のついた感じのものがスキみたいだ。なんでだろう?