久しぶりに中華パッドを取り出す。
久々に中華パッドの「双撃」を取り出して書いている。中華パッドはもう卒業したと思っていたのだが、こうやって取り出してみると結構使い良い。中華パッドには常にいかがわしさが付きまとうが、その怪しさが某かの自由をもたらしている。エスタブリッシュな企業の繰り出す「キレイな」製品にはない楽しさと自由な息吹があるのだ。こうやって「双撃」で文章書いてても結構楽しいし、精神的に満たされる。
ちょっと前までは、第四世代のiPodで「やって行こう」と思っていたけど、どうも脅迫的な、締め付けられるような気持ちになってしまって、ロクなことにならなかった。 やっぱり、自分にはどこか怪しい中華が合ってるんだと思う。
その雑さ加減がココロのリラックスを呼び寄せてくれるのか。