双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

過去記事「古本屋で見つけた本を読む」

一昨日、中ノ島の古い建物の横を向けてコンビニを探しながら歩いていた。

 その日は何時になく「美しい日」だった。ローケーションも良ければ日和もいい、申し分のない一日だった。

 早めの昼食をビルの中で済ませて、それからスマホやらルーターやらの電源を確保するためにマクドナルドに行った。すでにお昼に贅沢(風)なチーズハンバーガーとポテト、それに紅茶を食べていたので、マクドではコーヒーのみ。そこでお気に入りのインチキくさい中華タブレットでブログしていた。

 しかし、前からわかってたことだけど、マクドって煩い。煩すぎる。注文を受けるオバサンやネーチャン(クルーというのか)たちの声の出し方がうるさい。それに厨房から絶えず電子音が聞こえてきてうるさい。で、静けさを求めて川沿いに出ることにした。(マクドの電源は意図的に電圧を下げてあるのか、電気サプライ(充電)はちっとも進んでいなかったけど。)

 打って変わって外は空気が淀んでいないし、シャンとしたオーラが漂っていた。その川沿いに川を見ながらコーヒー飲むのにピッタリのお店があることを知っていたので、今度はそこに入り、紅茶とショコラケーキのセットを頼んだ。

 こんなふうにして秋の良い日を楽しみながら、ちょっと最近無かったくらいイイ時間を楽しんだんだけど、まだおやつの時間だというのにビールが欲しくなってきた。中ノ島の中にビールと花壇を楽しめる椅子とテーブルを提供するお店があるのだが、人は誰もいなかった。それで前に来た時に寄ったことのあるファミマを思い出して、そこに行ってビールにありつこうと思った。このファミマの二階には広いイートインがあるはずだ。早速Googleマップで探してみると、あった、あった、すぐに先のところだ。

 歩いて行くと確かに見覚えのある景色だ。ファミマもあった。という時、その手前の小さな雑居ビルの1階を占めている古本屋に気づいた。って言うか、その店先で初老のオジサンが本を見ていたのだ。それがなんだか気になって自分もその店に入ってみることにした。店先には50円100円で売られている文庫本もあった。

 中はかなり狭い。店舗の絶対的な面積が小さいのに、本だけは(それもかなり知的な本や専門書)山ほどつまっていた。私はなぜか一冊ここで文庫本でも買っていこうと心に決めていた。コンビニのイートインでビールを楽しみながら、その文庫本でも雑に持って読んでやろうと思っていた。そうして本を物色していて見つけたのが、このちくま文庫森茉莉の本「貧乏サヴァラン」だったのだ。普段本屋に入って新しい本を買うとのなら、こんな本を選んだりしない。どうせ古本なんだから、ちょっと目新しい感じのしかも知的な本を買ってみようと目論んでいた。まだ読んでいる途中だけど、いい本に出会ったと思っている。と同時に古本屋で本を選ぶ、ってとってもワクワクするエキサイティングなことなんだって知った。しばらくこの界隈とこの古本屋通いをすると思う。それくらい私には素敵な体験だったのだ。

 森茉莉の本だが、私はかなり気に入っている。この文章自身かなり前に書かれたものだと思うが、何度でも読める優れた文章だ。ただし、この筆者の本はハッキリ言って「鼻持ちならないブルジョア的個人の自惚れ」の書であり、「似ても焼いても喰えないアクの強さ」が全編に貫かれていてギスギスしている。しかし、それでも文章そのものは華麗であり、読んだものを離さない魅力を湛えている。

 こんな文章は決してネットでは出会うことはできない。(ただし森茉莉のことを書いているブログは総じて質の高い文章で書かれていた。)古本屋だからこそ選んだ本で、本だからこそ出会える文章を摂取することができた。この経験は私にはかなり衝撃的で、私はこれまでの下らないスマホ生活から遠ざかることになるだろう。知的にはもっとまともな「食事」ができるようになっていくだろうし、そういう観点で己を見つめることもできるようになるだろう。ちょっとした「転換点」だったのだ。

 2016/11/20 15:35:12