双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

過去記事「オブジェとしてのマックを使う」

2017/03/18 19:51:31

私がウインドウズではなくマックを望むのはマックには「物語性」があるからである。

モノでありながらモノとしてのコンテクストを超えてヒトやヒトの生を彩るもの、あるいは意味付けるものを「オブジェクト」という。なので、ウインド ウズはノートパソコンとしての機能には何の問題は無いが、オブジェクトとしての存在感はほとんど無い。マックを求めているヒトビトは、その自覚の有無に関 わらず、マックが自分の毎日に「物語性」を与えてくれることを知っている。それを単に「マックを持つと気分がイイ」と感じたり、マックというオブジェを多 くコレクションしたり、反応はそれぞれであるけれど。

でも、一番わかりやすいのは「スタバでMacBook開いてドヤ顔する」っていうやつである。こんなの誇張された冗談だろうと思っていたらとんでもない。結構そういうヒトいるいる。でも、これが「マクドで一昔前のネットブック開 いている」っていうのはどうだろう。そこには何の物語も生まれていないので、オシャレさも面白さも気恥ずかしさも生まれてこない。やっていること自体は変 わらないのに、当の本人の意識も周りの見る目も全く違う。「オブジェ」が存在することで確かに何らかの「物語」が共有されている。

だから、これが何もマックである必要も無い。昨日発売されたばかりのムラカミハルキの新作の本でもいいのだ。つまり、スタバでMacBookを開いていても村上春樹の本を開いていても、その「物語」の在り方はほとんど変わらない。当の本人の気分だって変わらないと思う。マックと村上春樹の本はまったく別種のモノでありながら、「オブジェ」としての意味合いはほとんど変わらない。

だから、マックを持ち歩ことに疲れてきたヒトは、このまま本屋にいって村上春樹の新刊本を買うべきだと思う。で、実際やってみて、その気分を味わってみてほしい。

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