過去記事「Macを持っていると、ミニマリズムを意識する」
2017/04/29 11:46:32
Appleのコンピュータのデザインは大変スッキリしている。この「スッキリ」という感覚がかなり重要で、ヒトを落ち着かせてくれると同時に中にある感覚を活性化させてくれる。そういう「スッキリ」さを意識させてくれるコンピュータって他には無い。だから、私はコンピュータが好きっていうよりも、その「スッキリさ」に触れたくてMacを使うんだと思っている。
だから、私にとってMacを使うことは「セラピー」なのだ。MacがWindowsに対して優れているのは、コンピュータというよりもオブジェとしての面白さ、優秀性だと思う。
そういうセラピーオブジェに触れながら、仕事したりネットしたりするってハッピーなことだと思う。
2017/04/29 17:38:44
Appleのホームページを見ると、Macを教育の分野で活用することがかなり進んでいることがわかる。
そう言えば、私もMacを通じて世界の無料教育サービスにアクセスして、英語と新しい分野のことをどんどん学ぼうと考えていたが、かけ声ばっかりで実際はそんなことは全くしていなかった。
私がまだ英語をどんどん学んで世界の色々な情報にアクセスしたい、そして世界のことを直接知りたいと思っていた頃はネットが自由にいつでもどこでも繋がったら、自分を常に英語の環境の中に置いて勉強するんだと考えていたが、せっかくインフラが整った時代になっても、一向にそんなことしていない。
しかし、今一度昔の誓いを思い起こしてみようかなとも思う。
特に今Macを使ってすることってほとんど無い。だったら、こういうことにMacを活かしてみてはどうだろう。
そもそもMacが世に出てきた時は、「知的自転車」としてヒトの知性のブースターとしての成り立ちを強調していた。Appleコンピュータは、その使い手がより知的な存在になるための増幅機械としての使命を持ってやってきたのだ。私たちも自分たちの知性の増強をAppleのコンピュータに期待していたはずだ。
それがいつ間にかAppleコンピュータは、ファッションアイテムとしてのイメージを高め、その「青臭い理想」は忘れ去られていた。それをもう一回思い出したい。