双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

iPhoneぢゃ無くて中華なのか何故か。

ここんとこ普段遣いは中華端末を使っていた。もうiPhoneでなくても、価格が安くて、しかもスペックも高い中華端末が良かろうと思って、そっちにシフトすることにしたのだ。 そもそも私は安い中華端末に恩みたいなものを感じている。Androidのバージョンがまだ4.Xの頃、まだタブレットスマートフォンのスペックは明らかにiOSの方が上だった。しかし、アップルの端末は私には高価すぎた。iPod touch(第四世代)だって、買うのがやっとだったのだ。その頃新たに出たiPadなんて到底買えたものでは無かった。 そういう時に現れたのが中華端末だった。値段はアップル製品の5分の一以下。パフォーマンスも確かに悪い。しかし、自分の手持ちのお金で買えるものと言えば、その中華端末しかなかったのだ。 時間が移ろい、中華製品は驚くほど進化した。部分部分ではApple製品を凌ぎ、高いパフォーマンスを示している。だったら、昔お世話になった中華をこれからも使い、高嶺の花だったアップル製品とは距離を置こうと思ったのだ。 私にとって最初の中華端末はnextbookだ。これは台湾製で、もう日本からは撤退しているようだ。(前には米国では売っていたけど、今はどうなっているのか知らない。) いい意味で、いい加減。いい意味で、出来損ない。これが中華端末の特色だ。その製品の怪しさ、胡散臭さ、不完全性ゆえにこっちも気楽になれる。それが中華端末の最大の良さだ。 私はもはやこうしたガジェットに人格を見ているのだろう。だから、アップルみたいな完全に練られた製品には、劣等人間ゆえの敵意を持っているのかもしれない。そして、どこか何かが欠けている中華製品には親近感を感じるのだろう、きっと。