双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

モバイルすること。

私の場合、「モバイル」することが命だ。って言うか、移動していないと落ち着かない。「移動」という刺激が無いと、何も生産的な事が出来ない。

しかし、それで何かスゴいことが出来るのかというと、そうでもない。つまり、知的生産という点で言えば、もたらしたものはゼロに近いものしか生み出していない。

それでも、この私の「モバイル趣味」は決して悪いものではない。なぜなら、それは私に、自分は「何か知的なこと」を「とってもオシャレに」為しえているという自己満足をもたらしてくれているから。

自己満足なんだとバカには出来ない。それが心身の健康にダイレクトに繋がっているんだということであれば、それはそれで意味があるということが今更ながら分かってきた。

なぜ「ドヤラー」的自己満足が健康に繋がっているかと言うと、自分が好きなガジェットを使って、仕事をバリバリしてるんだという感覚が幸福の感情をもたらし、その感情が私が様々な悪習に染まることを遠ざけてくれている。この辺の説明は自分でも解析不足で出来ないが、それを試みてみよう。

前に私は「ドヤラー」を「卒業」した事がある。理由はそのバカバカしさ、虚しさに気づいたから。判で押したようにカフェに行き、陣取ってMacBookを開く。しかし、やっていることと言えば、せいぜいガジェットのことをネットで調べたり、色んなブログを読んでいるだけ。余りにも非生産的で自己満足に過ぎると思ってやめてみた。

ところが、それをやめた私がどうなったのかと言うと、結局毎日のようにコンビニ飲みすること。コンビニのテラスの席に陣取り、安いビールもどきのアルコール飲料を飲み、当てに脂ぎったスナック菓子をつまんだ。それはそれで癒されるのだが、やっぱり何か違う。毎日飲んでいると、アルコールに対する意識も変化してきて、昼間っからビールを飲んだりするようになる。

こんな「悪習」に染まるくらいだったら、スタバ行ってコーヒーをあおり、iPhone持って自己満足に浸っている方がいいと考えた。