双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

Androidで行くと決心したこと。

スマホの掃除をした。とは言っても、スマホを磨き上げた訳では無い。私の端末所有数を減らしたのだ。

切っ掛けは、ミニマリズム的な生活をしている坊さんの本を読んだこと。著者自身は、自分の生活がミニマリズムだとは言ってないが、禅僧なので、元祖ミニマリズムみたいなものだ。

その彼が著作の中で言うには、モノが増えれば増えるほどココロのノイズが増えると言うのだ。「コレだ!」と思った。私の今の状態がまさにそれなのだ。この年末年始、スマホのことで「決着」がつけられなくて、ズッとイライラしているのだ。本当は一気に叩き売るか、捨ててしまえばいいのかもしれない。しかし、「せっかく買ったのに勿体無い」というノイズが立ち現れて、私の脳髄の中で観念が綱引きをするのだ。こういうどっちつかずの、決められない状態って、すごく神経に悪い。そういうイライラを朝から晩まで続けているのだ。これは立派なビョーキだって言えるだろう。

早く、この状態に決着をつけたくて、昨日「twitter用」にまだ持ってるiPod touch (第4世代)を4台ともフォーマットしてネット端末としては使えないようにした。これからは時計・ストップウォッチあるいはメモとして使っていくつもりだ。

 そうすることで何か楽になった。何でだろう?

今の直感で言えば、メインはAndroidで行きたい。論文なんか書いてると、連携のエコシステが出来上がってるAppleの端末の方がしっかりしているように思える。

でも、考えてみれば、私の書く「論文」が一体なんぼのもんなんだ?そんなにまでたかい端末揃えて万全の体制を取って書かなければならないものなんだろうか?全然そんなこと無いかな。

なんか頭が煮詰まってる。「~~~ねばならない」、「~~~じゃ無ければならない」に凝り固まっている。脳髄が硬直してるみたい。

Appleでなければならない理由のもっとも大きな理由は、Apple端末のデフォルトの「メモ」の連携がスグれものなので、何時でも何処でも、どんな端末からでも書けるっていうことなんだけど、同じようなことはGoogleドライブで出来る。むしろそっちの方が端末に依存していないからイイと思う。ここで又連携が云々言うんだったら、再度言いたい。「お前の書く文章がいったいナンボのもんなんだ」と。

ちょっと前までは、「やっぱりAppleのエコシステムって最高だから、iPhoneiPad、それにMacBookで行こう」と思ってたけど、そこまでAppleに取り囲まれて生きたいのか。それがApple信者ってもんだけど、私は「信者」にはなりたくない。不自由だから。

せっかくAndroidの鷹揚さ(ある意味ダラしなさ)と自由さを知ったのに、それを捨て去ることも無かろう。

iPhoneはゲーム端末、音楽(iTunes)端末、ポッドキャスト端末、iTunesUを使ったラーニング端末で良いと思うんだ。要するにラーニング端末ってこと。だから、新しい端末を買うなんてことしなくていい。そういう機能さえ使えればイイのだ。

iPhoneにはそういう機能で使うことを徹底させるために、デフォルト以外のアプリはインストールしないようにしよう。したとしても、GoogleドライブかマイクロソフトOfficeぐらいにしておこう。

うん、それがいい。オレ(!)はAndroidでいく。