「アイフォ・スタバニア」の流儀
「アイフォ・スタバニア」の世界では「のようなもの」が大切である。実際にそうであるかどうかよりも、まさにそのように見えるというのが大切なのだ。つまり、スタバでドヤる時も、「どことなくクリエイティブっぽいヒトがいかにもデキる」ような体(てい)で、MacBookを触っていることが大切なのだ。本人もそのイメージに自己耽溺し、周囲もそれにダマされようとしている。まさにMacBookがそういうツールであり、スタバがそういう場所だというイメージを纏(まと)っているからだ。
そのことを端的に書いた本もあった。
ヒトによっては「ウソだ」とか「バカバカしい」とか言うけれど、こうしたものを人々が望んでいると考えて、こういうものをこのリアルな世界にもたらしたアップルやスターバックスはスゴいと思う。又こうしたものでハッピーになれる人々の感性も悪く無いと思う。こういう消費スタイルが隆盛な中で「たかがパソコンだろう」「結局、喫茶店なんだろう」と言い切ってしまう方がどこか感性的に欠けている、って言うか、「オヤジ」だ。