双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

過去記事「今日もゴミを持ち歩く」「自宅ドミトリーという視点」

2017/05/06 21:47:57

最近ヤバい。仕事が忙しくてココロの余裕が無いのと、そうやって忙しくなってくると余計に自分を忙しくするようなことをしている。

本もめっきり読まなくなった。スマホでB級ニュースや中身の薄いブログばっかり読んでる。理由はそういうのが楽で癒されるから。でも、あまりイイ兆候とは言えないな。

2017/07/08 17:40:14

去年の今頃だったか、「自宅ドミトリー」という感覚を持って生活することにした。ホントは自分の家なんだけど、自分はその家になんとか「住まわせて」もらっているという想定だ。でも、そうすることで何故か「生活を愛する」ことができるようになる。生活の一コマ一コマを大切にするようになるのだ。「喰う」「寝る」ってことがなんだか楽しいことになってくるのだ。

人間、「楽しく暮らす」のにあれやこれやが本当にいるんだろうか。例えば寝たり書いたり(私の生活の中ではこの二つが重要)するのに、自分の部屋というモノが必要なんだろうか。答えはノーだろう。多くのヒトがそういったものが必要だと信じている。あるいはそうしたものがあれば、より生産的になれると思い込んでいる。こういう思い込みや迷信に支配されることをやめたい。それが「ドミトリー生活の」を始める動機だ。

過去記事「Macを持っていると、ミニマリズムを意識する」

2017/04/29 11:46:32

Appleのコンピュータのデザインは大変スッキリしている。この「スッキリ」という感覚がかなり重要で、ヒトを落ち着かせてくれると同時に中にある感覚を活性化させてくれる。そういう「スッキリ」さを意識させてくれるコンピュータって他には無い。だから、私はコンピュータが好きっていうよりも、その「スッキリさ」に触れたくてMacを使うんだと思っている。

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だから、私にとってMacを使うことは「セラピー」なのだ。MacWindowsに対して優れているのは、コンピュータというよりもオブジェとしての面白さ、優秀性だと思う。

そういうセラピーオブジェに触れながら、仕事したりネットしたりするってハッピーなことだと思う。

2017/04/29 17:38:44

Appleのホームページを見ると、Macを教育の分野で活用することがかなり進んでいることがわかる。

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そう言えば、私もMacを通じて世界の無料教育サービスにアクセスして、英語と新しい分野のことをどんどん学ぼうと考えていたが、かけ声ばっかりで実際はそんなことは全くしていなかった。

私がまだ英語をどんどん学んで世界の色々な情報にアクセスしたい、そして世界のことを直接知りたいと思っていた頃はネットが自由にいつでもどこでも繋がったら、自分を常に英語の環境の中に置いて勉強するんだと考えていたが、せっかくインフラが整った時代になっても、一向にそんなことしていない。

しかし、今一度昔の誓いを思い起こしてみようかなとも思う。

特に今Macを使ってすることってほとんど無い。だったら、こういうことにMacを活かしてみてはどうだろう。

そもそもMacが世に出てきた時は、「知的自転車」としてヒトの知性のブースターとしての成り立ちを強調していた。Appleコンピュータは、その使い手がより知的な存在になるための増幅機械としての使命を持ってやってきたのだ。私たちも自分たちの知性の増強をAppleのコンピュータに期待していたはずだ。

それがいつ間にかAppleコンピュータは、ファッションアイテムとしてのイメージを高め、その「青臭い理想」は忘れ去られていた。それをもう一回思い出したい。

過去記事「15インチMacBook Pro再発見」

2017/04/29 07:53:25

一応私は,自分の中ではミニマリストを目指している。特にG4Cubeは私のミニマリズムのシンボルだ。(もう売り払ったので「シンボルだった」)

イメージ的には、某陶芸家の住んでいる古い古いドイツ式アパートメントみたいに、古いけどキレイに手入れされている部屋の中に、少し大きめのテーブルがある。そこにはG4Cubeの四角い筐体だけがあって、他にはなんにも無い。そういう感じなのだ。

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しかし現実を見ると、もうG4Cubeは手元に無いし、私の身の周りは相変わらずゴチャゴチャしまくりだ。それをナントカ克服したいと常日頃思っているが、実際はそうはいなかい。つまり、私は根っからの散らかしストであり、マキシマリストなのだ。

でも、アルミの筐体のMacBookを触っていると、なんとか「スッキリした生活」を目指そうという気になってくる。

実際、私の触っているMacBookはもう10年以上も前の代物であり、OSが更新できない故ブラウザも古いバージョンを使い続けている「太古機」だ。

しかし、このMacBookを触っていると、ホント快適な気分になってくる。もう売り払ってしまおうと思ってたのだが、オークションに出すためにキレイに掃除して、データを抜き出したら、なんだか新しい機種にも負けないような「目新しさ」を感じた。もっとも最新機種に触ったことも無いのだが。

とにかくちょっとクリーニングするだけで、新しい機種を導入したのと同じような気分になれるなんて、ちょっと不思議な気がした。(恐らくそんなのは私だけだろうが。)

それでこれからはどんどん、15インチMacを外にも持ち出して行こうと思っている。理由はカフェに寄ったときもMacに触っていたいから。なんて馬鹿げた理由だと思う。ガキだ。お宅だ。まともな社会人の発想では無い。だけど、いい、私はそれで。

2017/04/29 08:38:07

つい最近考えたのがMacBookで仕事ができないかということ。

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そんなの訳ないと言われるだろう。でも、違うのだ。うちの職場はパソコンのセキュリティが幼稚に強くて、確かに情報漏洩はしないだろうが、仕事で「使えない」仕様になっている。私は退社時刻を過ぎたら職場にはいたく無いが、仕事そのものがキライという訳ではないので、カフェなんかでMacBookを使って仕事をしたいと思っている。仕事で扱う文書の大半は重要情報とは無関係のものなので、どこで作成しようが構わないし。

それに自前のパソコンならクラウドも使える。ここで仕事をすれば、もし仮に重要情報を扱ったとしてもデータは全てクラウド上なので、パソコンを落として壊したり、置き忘れて紛失したりしても被害は物的なものに止められる。

今週から色々試してみようと思っている。  

 

過去記事「ドミトリーはノマドの延長」

2017/03/20 00:12:32

Xperia A SO-04Eのスペックと格安SIMでの使い方とテザリングの設定

本来ブログを使ってサイトで見つけた記事の共有なんてしない(するとしたらブックマークかTwitterだろう)のだが、ブログでもそういうことができるのかと今更ながら思ってやってみた。 とすると、普段使いのブログっていうのを用意して、そこでメモ書いたり、ブログの下書きしたり、ブックマークもそこでドンドンしたり、ネット生活のプラットフォームとして使えそうな気がする。早速そういうのやってみようかな。

2017/3/25 15:20:05

時「ノマド」っていうのが流行った。つまり、オフィスなんて言うものを一切持たず、スマホと街のカフェだけを頼りに仕事してしまう、っていう新しい働き方だった。実際やってみると、労働環境としての劣悪さに閉口することになると思うが、そもそもは自分で独立して何らかのビジネスをスタートアップするヒトが、ちょっと前ならそれなりに会社インフラ(スモールオフィス、電話、ファックス、デスクなど)に投資しなければならないのが、今は情報機器の進歩とネットやカフェなど街中インフラの充実で、極端に言えばスマホ一つで始められるという主張だった。それがアイデアとしてもすごく面白いので「ノマド」として世間にももてはやされたんだろう。

ノマド」の発想が画期的だったのは、ホントに必要なものを選んで行けば、ビジネスだって数点のアイテムでできることを看破したところだった。「オフィス」という必須のものも、カフェなんていう都市なら何処にでもあるもので代用できるんだと言い切ってしまう思い切りが新鮮だった。(実際にはオフィスがないの信用してもらえずビジネスとして成り立たないってことも多いと思うけど)

こういう思い切りを仕事から生活そのものに移行させたのがミニマリズムだと思う。「ノマド」で最低限の仕事環境を求めたように、「住む」ということから不要なものを除いていったら、見えてくるものが沢山あったのだ。ドミトリー生活は、さらに「住む」場所さえ街中のインフラに頼ろうとしている。ちょっと前なら「ホームレス」とか「ドヤ街」住まいとされ、嘲笑か憐れみの対象となっただろう。ところが今はエクストリームではあるけれども、一つのライフスタイルとして見てもらえると思う。読者層的に言うと、かつての「ノマド」志向のヒトと現在の「ミニマリズム」志向のヒトはかなり重なっていると思うのだが。

しかし、決定的に違うのは「ノマド」は環境やアイテムを精選し、シンプル化するのはあくまでもビジネス成功の手段であって当面の方便なのに対して、「ミニマリズム」はシンプル化が半ば目的そのものになっている。つまり、生活のシンプリシティを維持し、さらにその洗練度を上げることを目指してるのだ。なぜシンプル化が目的化するのかと言うと、ほれによって得られる至福感というものをミニマリストは知っているからだろう。生活は軽やかになり、ココロは満たされて、まるで信仰を得たヒトのようになれるからだろう。多分。

過去記事「オブジェとしてのマックを使う」

2017/03/18 19:51:31

私がウインドウズではなくマックを望むのはマックには「物語性」があるからである。

モノでありながらモノとしてのコンテクストを超えてヒトやヒトの生を彩るもの、あるいは意味付けるものを「オブジェクト」という。なので、ウインド ウズはノートパソコンとしての機能には何の問題は無いが、オブジェクトとしての存在感はほとんど無い。マックを求めているヒトビトは、その自覚の有無に関 わらず、マックが自分の毎日に「物語性」を与えてくれることを知っている。それを単に「マックを持つと気分がイイ」と感じたり、マックというオブジェを多 くコレクションしたり、反応はそれぞれであるけれど。

でも、一番わかりやすいのは「スタバでMacBook開いてドヤ顔する」っていうやつである。こんなの誇張された冗談だろうと思っていたらとんでもない。結構そういうヒトいるいる。でも、これが「マクドで一昔前のネットブック開 いている」っていうのはどうだろう。そこには何の物語も生まれていないので、オシャレさも面白さも気恥ずかしさも生まれてこない。やっていること自体は変 わらないのに、当の本人の意識も周りの見る目も全く違う。「オブジェ」が存在することで確かに何らかの「物語」が共有されている。

だから、これが何もマックである必要も無い。昨日発売されたばかりのムラカミハルキの新作の本でもいいのだ。つまり、スタバでMacBookを開いていても村上春樹の本を開いていても、その「物語」の在り方はほとんど変わらない。当の本人の気分だって変わらないと思う。マックと村上春樹の本はまったく別種のモノでありながら、「オブジェ」としての意味合いはほとんど変わらない。

だから、マックを持ち歩ことに疲れてきたヒトは、このまま本屋にいって村上春樹の新刊本を買うべきだと思う。で、実際やってみて、その気分を味わってみてほしい。

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過去記事「双撃四核を初期化した」「アップルを讃える」

2017/03/17 11:03:30

このところ双撃のスピードがかなり遅くて(主にネット使用)、我慢できなくなって初期化した。RAM512MBはさすがにキツいのか、インストールするアプリがちょっとでも増えるとパフォーマンスが落ちてしまう。前に使っていた中華パッド(正確には台湾製)も初めは使い物にならないと思っていたが、アプリのインストールをやめてデフォルトのままネット専用機にしたら結構使えたので、その経験を元にブラウザだけで使うネット専用機とすることとした。

2017/03/18

昔使ってたiMacG5のことを思い出した。

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今から10年以上前のこと。

この頃のマックは急速にミニマリズム(当時はそんな言葉も無い)的なデザインに傾倒していくハジメだったと思う。「コンピュータはどこへいったのだろう?」とか、そういうコピーだったと思うのだが、iMacG5は単に新しいタイプのコンピュータが現れたというだけではなく、インテリアやライフスタイルに影響を及ぼすコンピュータの出現でもあった。オシャレなコンピュータユーザーがマックというコンピュータブランドを選ぶのではない、マックというコンピュータがそのデザインに沿ったユーザーやライフスタイル、あるいはユーザーの意識さえも規定してしまう事態になったのだ。コンピュータがユーザーを選んだり、ユーザーを自らのデザインの方向に規定し直すのだ。

ユーザーはマックというコンピュータにリ・デザインされることで、自己たりえるヒトになっていく。それは、ある意味主従が逆転している、かなりアブナい事態なのだが、ユーザーにその危機感は全く無い。今流行の「スタバでMacBook開いてドヤ顔している」人々はそれにドップリはまってしまった人々である。(私もぜひそうしてみたい)

マックには元々そういう魅力っていうか危険性があったのだが、今のデザインストリームに乗ることで、完全に大衆性を獲得した。マックはコンピュータからファッションやライフスタイルを規定するアイテムになったのだ。

かつてアップルコンピュータは、「IBM」をジョージ・オーウェルの「1984年」に登場する「ビッグブラザー」に見立てて、自らをその「支配」に抗するヒロインに見立てたが、今ではアップルが人々の意識を支配するヘロインと化している。

しかし、それがなんだと言うのだろう。そこに身を委ねたとしても失われるものは少ない。むしろ、その方が朗らかに生きられるだろう。アップルコンピュータがデザインしてくれる自意識と価値観の中で生きるのだ。旧ソ連の映像の天才タルコフスキーの映画「ソラリス」では、特殊な生命体であるソラリスという惑星が造り出す幻影に、宇宙船のクルーたちが囚われて、その中で「幸せに生きて」いく姿があったが、まさにそれと同じではないか。

もう一度言うが、我々はマックを、自分を演出するファッションアイテムとして用いているのではない。空虚になった自分を満たすために、アップルのもたらした啓示(マック)を受け取り、それにすがって生きているのだ。マックは我々の「司令塔」なのだ。

アップルの「信者」はすでにそのことを十分「解って」いる。これは立派な「宗教」であり「支配」なのだと。そして、自分たちはその支配を喜んで受け入れていることを。その信仰の中では「スティーブ・ジョブズ」さえも「啓示」を表す「シンボル」の一つでしかない。

私はアップルの信者にはなれないが、アップルの伝えるライフスタイルやデザイン性を好んで受け入れたい。そうする方が快適で、スッキリするからだ。モヤモヤしたものを抱えて、そのイライラからロクでも無いものに囚われるよりはずっと健康的だからだ。

過去記事「無駄遣いしている。洒落てて貧しい生活を目指す」

2017/03/05 08:31:01

amurita.at.webry.infokon

このヒトも森茉莉の「貧乏サヴァラン」のことを書いている。本との出会い方も私といっしょ。自分で選んで買ったのではない。誰か本好きの人間が読んだ後のものと偶然出会ったのだ。やっぱり森茉莉の文章には吸引力がある。

2017/03/07 18:46:35

銀行口座の残高を見たら悲しくなってきた。金輪際お金を使うのはヤメようと思えるほど。フーゾク行くのやめたのにそれでもたまってない。って言うか、その反動でムダな出費が増えたような気がする。自分を甘やかすことにかけては私はチャンピオン級なんだろう。 一番大きなムダ買いは、新しく(と言っても中古で)コンピュータを買って11万円散財したこと。確かにウレシい買いもんなんだが、本当に必要かどうかと言えば、かなり疑わしい。 まあ、他にも無駄遣いのタネはいくらでもある。泊まる必要もないのにドミトリーに泊まってたこと、毎日コンビニのイートインやスタバなんかに通ってること。ビールも買ってよく飲んでいる。 こりゃお金無くなるよな。 これまで散々ムダな出費を重ねて、その上で言うのもなんだけど、もうこれ以上自分を甘やかすのはやめよう。フーゾクと新たなパソコンの購入にストップかけることができたら、かなりお金状況はマッタリすると思う。ホントになんとかしたい。

2017/03/10 07:11:56

これまでムダにおカネを使い過ぎた。そういう生活やめて、ムダの無い合理的な生活を送りたい。私の場合、カフェとネットがあれば、それなりに楽しく出来ると分かってきた。特にネットの力は大きくて、以前のように何かビデオ借りたり本買ったりしなくても十分楽しめるし、その端末になるパソコンだって、この前マック買ったばっかりだし、しばらくはそういうモノを買う必要はない。そんなふうに考えていくと、実際のところ私はほとんど何も買わないで生活出来ると思うんだ。文字通りミニマムにヤレると思う。ただ「スタイル」だけは大切にしたい。UNIQLOとかのファストファッションでいいから、そういうのを使っていつも身綺麗にはしていたい。精神の健康を保つためにも何がしかのファッション性は持ってたい。