双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

最近の私のアップル事情。

ホント他人には、本人にもどうでもいいニュース、それがこのブログの内容だ。こうやって私は本質から目を離し、その分気楽に生きられるのだろう、多分。

最近はこのiPhoneとかiPodとかアップル端末を触ることが多い。諸般の事情からダブル・ルーター生活が出来なくなって、唯一持ってる SIMをこのiPhone6にインストールしているからだ。最近ジモティーで手に入れた、もう一台のiPhone6も持ち歩いている。それらと一緒に持ち歩いているのが、古代機と化したiPod touchだ。これらはラジオ・ポッドキャストあるいはiTunesコンテンツを聴くオーディオ端末として大変重宝している。

今年の私はとにかく金をムダに使わずに、潤いのある生活(今までの私の生活が「潤いのある」生活と呼べたならだけど)を送りたいと思ってる。私の生活にはラジオなどのオーディオコンテンツと「読み物」は絶対外せない要素で、その点iTunesポッドキャストをデフォルトで備えているiPodiPhoneは大変便利な端末だ。

時になぜだか英語コンテンツなんかを聴いていたいことがある。ろくすっぽ英語も喋れないのに。そういう時、Androidよりもアップルの方がいい。iTunesUにいたっては世界のトップ大学の講義がフリーで聴けるという(英語だけど)^_^。

「クズ」趣味としてのガジェット好き。

自分ではマトモな趣味だと思っていた「ガジェット好き」だが、もしかして、こんなモノに無駄ガネ使う私は「クズ」人間ではないかと思うようになった。当該の人間が「クズ」かどうかを知るには、そいつのおカネの使い方を見れば速攻分かる。分不相応の買い物、頻回に無駄買いする、計画性の欠如、そういうのが如実に現れる。逆に言えば、如何にいい加減に見えてもカネの使い方がマトモなら、そいつはマトモだと判断していい。精神の変調は言動などでは無くカネの使い方にでるのだ。もう一度その観点を自分に当てはめると、ムダにガジェット買い込んでいる私は「クズ」だ。

ただ、これからはその自覚を忘れないようにして、もうこれからは新規で買うのはヤメにしたい。今年のニューイヤーリゾリューションとして、「ムダなお金は使わない」と決めたのだから、それを貫徹するつもり。って言うか、ホントもうムダなことしたくない。

旧式iPodでNewsweekを読む。

iPod第四世代の「Newsstand」で「Newsweek」をダウンロードして読んでみた。普段デジタル化された本や雑誌はAmazonを使うのだけれども、この世代遅れで太古機となったiPodを使いたくて無料版を落としてみた。

雑誌を読むには3.5インチの画面は小さすぎるのだが、ホントに実物並みの大きさで読みたいのならiPadを買って読めばいい。しかし、今やりたいのは、必要最低限の画面で「ニューズウィーク」を読むことだ。

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結構頻繁にピンチインアウトしたり移動したりすることになるのだが、言うほど不便では無い。むしろバスや電車の中など街中のどこにいようが、こういうビジュアル雑誌が読めてしまうのが快適だ。

こういうデジタルガジェットとその上で動く雑誌や本のお陰で、街中が自分の寛ぎの場所になってくる。ちょっと前なら本は家にあって読むものだったのだ。カバンに本を入れて持ち歩いても、あれもこれも本を持ち歩くという訳にはいかない。それがデジタルなら本棚ごと運べるようなものだ。

ちょっとしばらくこれでいってみようかな。

私のガジェット体制

最近ガジェット神経症とでも言うべき状態に陥っている。前前から沢山の使い切れないガジェットを持っていたのだが、その端末に圧迫されている状態だった。自分でもバカだと思う。要はガジェットに入れ込み過ぎているのだ。精神状態も良くない。なんかイライラさせらている。ガジェットを多く持ちすぎてるのだ。

そういう私のガジェット体制に少し変化があった。自分がつい最近手に入れたAndroidの最高機種であるHuaweiP10liteを手放したのだ。ホントはもうちょっと使いたかったのだが、まぁ仕方が無い。

それで今使用のメインになっているのがiPhone6だ。使用感は上々なんだけど、何が悪いって、ある記事をブログで引用したくてURLを転送したい時に、その連携がAndroidほどスムーズにいかないのだ。そういう引用って、私の場合結構するのでかなりストレス。私はブログをブックマーク的に使ったりするので、こういう点はAndroidの方が良かった。

Androidの安堵。

ちょっと気取った事をしたい、って時はiPhoneの方がイメージ的にいい。なんか気分が高揚してる時なんかはiPhoneiPadを持ちたいと思う。何かとオシャレだし。

でも、何かのはずみにHuaweiなんか使ってると、「やっぱりコッチの方が使いやすいな」となる。iPhoneみたいなシャレたイメージが無い代わりに、地に足のついた安心感や心地良さみたいなものがある。

バスに乗ってきた「ロームシャ」

仕事帰りのバスにエラく太った男の人が、両手に買い物袋抱えて乗って来た。バスに乗り込むのも一苦労で、カラダが思うように動かないようだ。着ている服は、「たまゆら」や「ワークマン」で売っているような作業服の重ね着で寒さをしのいでいるという感じだった。靴もなんだか汚れている。座っていても、なんだかしんどそうだし。

断っておくけど、私はこのオトコへの嫌悪感から、この文章を書いているのではない。自分でもよく分からないけど、「こういうのもアリだな」って思った。何がアリかと言うと、周りのいわゆる「サラリーマン」とは明らかに違う風貌は、見栄えとか人並みとか言った、「みんな」が共有している常識を一切拒否しているようだった。私も何気に小綺麗に、出来れば洒落た風に装うことを考えていたが、それは私のアイデアだと言うよりも「思わされている」のではないか。このオトコはそんな見えない強制力から解放されているのではないか。それが何だか羨ましかったのだ。

iPadのCM。

iPad ProのCMを見た。 ニューヨークかどこだかのダウンタウンで男の子みたいな女の子がiPadをお供に街を浮遊するように生活する、っていうCFなんだけど、これがスゴく気に入った。何でかって言うと、コンピュータ(正しくは電子機器かな?)がCMのセンターにいるのではなくて、コンピュータを駆使する子どもがセンターになっているところが洒落てる。iPadのCMではあるが、そのCMの中ではiPadから敢えて少しだけフォーカスをズラして、iPadと「暮らしている」子供にフォーカスを当てている。そして、結局のところ、iPadのある豊かな生活をイメージさせて、iPadに注目させるという凝った仕組みになっている。

そして、最後に女の子が隣のオバちゃんに「コンピュータで何してるの?」と問われて、「コンピュータって?」と返すとこもイイ。iPadはコンピュータなんてものを意識させない、生活に密着したフレンドリーな存在なんですよとメッセージを送っている。よく出来たCFだ。