双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

Shimejiを使う。

中華タブの日本語入力には、Shimejiを使ってる。自分が使っているタブレットが中華だから入力も中華というわけではない。Shimejiはどのフロントエンドよりも使いやすいのだ。

初めてShimejiを使ったのは、モバイルルーターをかつてのemobileで契約した時にタダでくれたタブレット(台湾のnextbook)にインストールされてたのがShimejiだったのだ。このタブレットandroidは2.3だったし、その上に乗っかってるShimejiもそう賢い変換が出来るわけでは無かった。でも、使っているうちに愛着が湧いてきて、2台目のタブレットとしてNexus7(androidは4.2)買った時も入力にはShimejiをインストールした。少なくともGoogle入力よりは使いやすかった。

Shimejiが中国の百度(バイドゥ)に開発されたインプットメソドで、ユーザーに無断で変換情報を中国のサーバーに送り込んでいるということはずっと言われていた。しかし、それゆえShimejiのクラウド変換は限りなく賢くてiOSの日本語変換の上を行っている。最新の用語や言い回しに対応していて「痒いところに手が届く」入力メソドなのだ。

今ではiPhoneでもSimejiを使っている。日本国産ではなく、中華企業がもっとも優れた日本語IMEを開発できたというのは何となく「やっぱダメだな、日本」(日本人以外誰も知らないcoolJAPANの逆)を感じさせるが、実際使いやすいんだから仕方が無い。

 

今日も「電車書斎」する。

今日も電車の移動が多い日で、中華タブで「電車書斎」している。って言っても、仕事してるんじゃなくて、ネットで文章を読んで文章を書いての繰り返しなんだけど。でも、それで取り出したのは、やっぱりiPhoneじゃなくて中華タブの双撃だ。昨日はApple製品に戻って「落ち着こう」と思ったんだけど、いざ電車で手にしたくなるのは、この双撃だ。こんなに中華タブ好きなんだったら、新しいの買おうかな。

この「電車書斎」、しばらくハマってみようかな。これまでハマってたのが不健康な趣味だったり、とってもおカネのかかる趣味だったりするので、この地味だけどおカネかけずに楽しめる趣味、とってもいい。例えば当ても無く電車に乗って延々「電車書斎」するとか。それくらいの趣味なら、いくら凝ってもオッケーだと思う。

今まではカフェを渡り歩いたりしてたんだが、電車では立って「書斎」することもある。でも、それがいい。暖房の効きすぎたスタバなんかいると、頭が朦朧としてくるし。

昨日は断然Macだ、アップルだと、思ってたんだけど、どうしたんだろ?ヘタしたら新しく出たMacBookAir買おうかと思ってたんだけど、今はそんな気になれない。それよりもオシャレじゃないけど、使って楽しい、役に立つAndroidタブレットWindowsのパソコンを使ってた方がずっとイィかも。

カフェ行くならWindowsのノートパソコンもいい。やっぱり大きくて明るい画面でネットするのはテンション上がるし。そう考えると、今持ってるガジェットで十分やっていける。あぶない。又新たにハードを買い足してしまうところだった。

そもそも私がタブレットに走ってのは、自分の浪費趣味を止めるためだった。はっきり言っておカネのムダだ。それで街中のカフェやちょっとキレイなスポットを廻りながらスマホとかタブレットしてたけど、結構それもお金がかかる。でも、「電車書斎」ならそんなこともない。今だって駅のプラットフォーム上にある待合室の中で書いてるんだけど、十分やっていける。こういう場所をいっぱいチェックしておいて回るってどうどろう?

電車の待合室で、携帯ラジオ聴きながら、延々とタブレットしてる。ちょっと寂し過ぎる光景だ。でも、いいぢゃないか、十分それで楽しいんだから。しばらくコレで行ってみる。

タブレットを携えて生きる。

昨日は一日殆ど電車に乗って移動する一日だった。大変だったかというと、そうでもない。むしろ、電車に乗ってるってことは私にはとっても快適なことだと改めてわかった。「ノリ鉄」ってことじゃないんだけど、電車の中は私にとって快適な「書斎」なのだ。それは前から思っていた。特に始発とか極早朝の電車は空いていて、何かを書いたり考えたりするのにピッタリなのだ。でも、昨日の経験からすれば、お昼でも混んでても、まとまった時間を電車の中で過ごすのであれば、そこは私にとって快適な書斎になる。自宅の机よりもずっと集中できる気がする。

で、これから意識的に「ホームレス書斎」やってみようかな、って思う。すでにカフェや街中のスポットを渡り歩いたりしてるんだけど、けっこう移動のための交通費やカフェなんかにおカネがかかっている。それをもっとゼロに近づけることをやってみようと思う。「ホームレス」なんだから、あっこっちでおカネを落とすようなことはするべきじゃない。

昨日の経験からすれば、中華タブレットに、ルーター、それにモバイルバッテリーがあれば、一日楽しくやっていけるもんだ。それをしばらく実行に移してみたい。

iPhoneでトグロ巻く。

最近メイン使用がiPhone(Sでもない、ただの5だけど)に戻ってきてる。きっかけはiPhoneから多くのソフトや垢をアンインストールしてiPhoneを(心理的に)軽やかにしたこと。経験的に何でもかんでもインストールしたり、アカウントを増やしたりすると、心理的な重みからいつの間にかそのガジェットから遠ざかってしまうことが分かってきた。ネットラジオに特化した古いiPodやネット端末に限ったタブレットがすごく使いやすいし、端末に愛着が湧くことから、ガジェットっていうのは「何でもできて何でも込み」っていうのは端末から軽さを奪ってしまって、それを「使えなく」してしまうようだ。私の「ガジェットライフ」にはミニマリズムが必要だ。

そうやって「軽やかにした」iPhoneでネットしながらテレビ見るのが楽しい。あまりにもフツーで非生産的な楽しみ方だけど。(「引き籠り」の一歩手前?)

でも、こうやって私は終始ネットで何かを書いて、誰かが書いたものを読んでいる。それが癒しになってるんだけど、言ってみれば終始自分を癒してるみたい。これってどこか不健康だと思うけど、でも、楽しい。しかも、とってもチープに楽しめて、しかも精神的な満足度は(今のところ)高いのでこれはこれでイイかとも思う。今までソーシャルした楽しみ方おおかったんだけど、やっぱりそれってオカネかかる。「それも必要」って思ってたから出費を痛いとは思ってたけど、今はそういう感覚は変わってきている。

しばらくはこんな風にiPhoneでトグロ巻いて寛ぐことになると思う。

AMDer(アムダー)に戻りたい。

自作PCに凝ってた時期がある。自作PCの雑誌なんかを読んでは想いを馳せていた。まだCore2Duoとか言ってた時期で「今は昔」だ。

でも、又自作したい、って言うか自作機を使ってみたい。することはスマホでやっていることと何ら変わらないけど、なんだか落ち着いて出来るような気がする。最近音楽聴くのにダウンロードどころかCDでもなく、レコードというアナクロニズム的な手段で聴くのが流行ってるけど、なんかそれに近い。自作機はATX仕様でかなり大きい筐体してるし、ファンの音も結構する。敢えてそんな古っぽい手段でネットする理由って何だろう。それにすることもネットでテキトーにサイトを見て回る(いわゆるネットサーフィン)だけだし。ハッキリ言ってそうしなきゃならない理由なんて無いのだ。でも、なんだか快適でなんだか幸せな気分になれるのは確か。結局気分の問題なんだろう。

でも、今はスタバでMacBook開くよりも自宅で自作機のキーボード叩いている方が楽しそうに思えてくるのだ。

かつて作った自作機のCPUはAMDと決めていた。当時インテルAMDはまだタメ張ってて、AMDの製品の方がコストパフォーマンスは良かったし、組み込みの際に破損させてしまう可能性も少なかった。自作初心者に優しいCPUだったのだ。その時の経験から今度何か新しい自作機を組むにしても同じくAMDで組みたいと思ってる。これだって理由はない。今じゃインテルの一方的なカチだし、AMDにアドバンスはAPU(CPUとGPUが合体してる)ってことぐらいか。でも、そんなこと目新しくもないし、決定的でもない。要は「初めて使ったCPUがAMDの製品で何ら問題が無かった」ということなんだろう。これからも私はAMD好みのAMDer(アムダー)でいくと思う。

iPhoneを使わなかった理由。

iPhoneを持ってるのに使わない。って言うか、買った時は喜んで買ったはずなのに、しばらくすると使わなくなっていた。代わりに通信販売で買った中華タブレットを使いよいと言って、それをメインに使っている。それが何故なのか考えたこともなかったが、最近になって分かってきた。

きっかけはゲーム専用機にして使うAndroidスマホから殆どのアプリを削除したら、なんだかスッキリしてとっても使い良くなったと感じたこと。

ならば、iPhoneでも同じことかと思って、多くのアプリを削除し、無駄に多いアカウントを一つに絞ってみた。すると、iPhoneも又同様に使い良くなってきた。不思議だ。ZEN的に言えば、ムダなものをまといすぎて、それがノイズを発していたってことか?そのノイズゆえ、iPhoneを使うのが憚れていたのか。

ミニマリストは断捨離すれば、人生がよくなるってことを言ってるが、これはそのスマホ上の体験ってことか?

とにかく「多い」のは良くないんだってよく分かった。便利になると思ってアレもコレも付加して、却ってノイジーで不快なものに仕立てていたのだ。

 

中華タブは私の幸せ装置。

昨日自称「腐女子∧引きこもり」の家で夕ご飯を食べた(外注)。彼女は家が何よりも好きで、大人買いしたマンガ読んで、お気に入りのDVD見て、3DSやってたら、この上なく幸福だという。ホントにそれで仕事のストレスは上手く回避してる感じ。そっかぁ、そうやって小さな「ヨクボー」剥き出しにしたら、結構楽しいかも。つまり、変にガマンしたり、平静装ってお酒やたら飲んだりする(今の私)よりも、ずっと上手いストレス管理法だと思った。、、、私も3DS買うべきかな?でも、私の場合はそういうストレス解除の手段がこの中華タブだったり、カフェで沈没することだったり、雑誌読んだりだと思うんだけど。でも、DSは持ってもいいかも。社会の中で為すべきことをして、自分の経済力に見合った楽しみで、しかもそれがアルコール・セックス・ギャンブルの三大アディクションを除くものだったら、大抵のものはオッケーだと思うんだけど。つまり、コミックなんかを何千円分も勝ったり、ゲームソフトに万ってオカネ使っちゃってもイィと思います。そういう言い訳したら、このタブレット癖なんてクリーンで安上がりの手段だと思う。

今、スタバの丸いテーブルを陣取って、ネットでラジオ聴いて、コーヒー飲んでるんだけど、かなりシアワセ。それを「なぜ?」なんて問わないで、楽しめるうちは楽しむようにしよう。