双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

旧式iPodでNewsweekを読む。

iPod第四世代の「Newsstand」で「Newsweek」をダウンロードして読んでみた。普段デジタル化された本や雑誌はAmazonを使うのだけれども、この世代遅れで太古機となったiPodを使いたくて無料版を落としてみた。

雑誌を読むには3.5インチの画面は小さすぎるのだが、ホントに実物並みの大きさで読みたいのならiPadを買って読めばいい。しかし、今やりたいのは、必要最低限の画面で「ニューズウィーク」を読むことだ。

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結構頻繁にピンチインアウトしたり移動したりすることになるのだが、言うほど不便では無い。むしろバスや電車の中など街中のどこにいようが、こういうビジュアル雑誌が読めてしまうのが快適だ。

こういうデジタルガジェットとその上で動く雑誌や本のお陰で、街中が自分の寛ぎの場所になってくる。ちょっと前なら本は家にあって読むものだったのだ。カバンに本を入れて持ち歩いても、あれもこれも本を持ち歩くという訳にはいかない。それがデジタルなら本棚ごと運べるようなものだ。

ちょっとしばらくこれでいってみようかな。

私のガジェット体制

最近ガジェット神経症とでも言うべき状態に陥っている。前前から沢山の使い切れないガジェットを持っていたのだが、その端末に圧迫されている状態だった。自分でもバカだと思う。要はガジェットに入れ込み過ぎているのだ。精神状態も良くない。なんかイライラさせらている。ガジェットを多く持ちすぎてるのだ。

そういう私のガジェット体制に少し変化があった。自分がつい最近手に入れたAndroidの最高機種であるHuaweiP10liteを手放したのだ。ホントはもうちょっと使いたかったのだが、まぁ仕方が無い。

それで今使用のメインになっているのがiPhone6だ。使用感は上々なんだけど、何が悪いって、ある記事をブログで引用したくてURLを転送したい時に、その連携がAndroidほどスムーズにいかないのだ。そういう引用って、私の場合結構するのでかなりストレス。私はブログをブックマーク的に使ったりするので、こういう点はAndroidの方が良かった。

Androidの安堵。

ちょっと気取った事をしたい、って時はiPhoneの方がイメージ的にいい。なんか気分が高揚してる時なんかはiPhoneiPadを持ちたいと思う。何かとオシャレだし。

でも、何かのはずみにHuaweiなんか使ってると、「やっぱりコッチの方が使いやすいな」となる。iPhoneみたいなシャレたイメージが無い代わりに、地に足のついた安心感や心地良さみたいなものがある。

バスに乗ってきた「ロームシャ」

仕事帰りのバスにエラく太った男の人が、両手に買い物袋抱えて乗って来た。バスに乗り込むのも一苦労で、カラダが思うように動かないようだ。着ている服は、「たまゆら」や「ワークマン」で売っているような作業服の重ね着で寒さをしのいでいるという感じだった。靴もなんだか汚れている。座っていても、なんだかしんどそうだし。

断っておくけど、私はこのオトコへの嫌悪感から、この文章を書いているのではない。自分でもよく分からないけど、「こういうのもアリだな」って思った。何がアリかと言うと、周りのいわゆる「サラリーマン」とは明らかに違う風貌は、見栄えとか人並みとか言った、「みんな」が共有している常識を一切拒否しているようだった。私も何気に小綺麗に、出来れば洒落た風に装うことを考えていたが、それは私のアイデアだと言うよりも「思わされている」のではないか。このオトコはそんな見えない強制力から解放されているのではないか。それが何だか羨ましかったのだ。

iPadのCM。

iPad ProのCMを見た。 ニューヨークかどこだかのダウンタウンで男の子みたいな女の子がiPadをお供に街を浮遊するように生活する、っていうCFなんだけど、これがスゴく気に入った。何でかって言うと、コンピュータ(正しくは電子機器かな?)がCMのセンターにいるのではなくて、コンピュータを駆使する子どもがセンターになっているところが洒落てる。iPadのCMではあるが、そのCMの中ではiPadから敢えて少しだけフォーカスをズラして、iPadと「暮らしている」子供にフォーカスを当てている。そして、結局のところ、iPadのある豊かな生活をイメージさせて、iPadに注目させるという凝った仕組みになっている。

そして、最後に女の子が隣のオバちゃんに「コンピュータで何してるの?」と問われて、「コンピュータって?」と返すとこもイイ。iPadはコンピュータなんてものを意識させない、生活に密着したフレンドリーな存在なんですよとメッセージを送っている。よく出来たCFだ。

82歳のアプリ開発者のこと。

脳科学者の茂木健一郎が、82歳のアプリ開発者(若宮正子さん)の知的豪快さについて、プレジデント・オンラインでコメントしていた。

60歳でプログラミングを始めた若宮氏は、CNNが送ってきた回答期限付きメールに即答するため、メール全文をgoogle翻訳のサイトにコピペしてメールの内容を理解し、日本語で書いた自らのメールをもう一度google翻訳にコピペして、その翻訳され英文をCNNに送り返して、ニュースで報道され世界的有名人になったというのだ。

今回の若宮さんの出来事の本質は、いかに速くCNNに返事をするかという一点に集約されるが、82歳の若宮さんは手近にある情報インフラ(ネット上の翻訳サイトとメールという、言ってみれば誰もが利用している技術)を使うことを思い立ち、いとも簡単に解決してしまったと茂木健一郎氏は指摘している。

普通のヒト、もっと若い人でも、自分はTOEICが何点だから今回のことは扱えないとか、正しい英文でないと遅れないとか、「出来ない理由」を論って、結局CNNに返事が出来ずに終わってしまうだろう。しかし、この82歳の「老人」は自分の能力で出来ること、ネットで得られる技術をかき集めて見事に事のソリューションを打ち立てたのだ。

茂木健一郎氏は「事の本質を見誤らなければ、いくらでも道はある」と締めくくっていた。凡人でも、ネットに限らず様々な技術があちこちに転がっている現代とは、事の本質を見抜いて迅速に行動できたヒトに大きな可能性とチャンスに恵まれる時代なんだろう。

ガジェット精神セラピー学

私はこのブログに延々とアンドロイド端末やiPhoneのことを延々と書いているが、要はこのブログは、私のガジェット・セラピーの記録なのだ。

考えればガジェットなんかで精神の癒しを得られるなんて、実はとってもイージーな話だと思うが、その様子を延々と書いているのが、このブログということになる。

今、私の中にある癒しの形式の一つが、iPod touchだけで、ガジェット生活を送るというもの。iPod touchの第四世代で音楽やポッドキャスト聴いたりする。そして、iPod touchの第五世代で文章を打つというもの。

iPod touchは、私のガジェット生活の原点だ。今はラジオ専用機となっている3.5インチのiPod touchだが、初めて使った時には革命的だった。