双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

iPhoneしてるとAndroid懐かしい。

一体全体何なんだろう?と思うけど、今みたいに専らiPhone使ってると、Android(HuaweiとかXperia)がスゴく懐かしくなる。何でだか自分でもよく分からない。特にGoogleNOWが懐かしくなる。やっぱり、個人的にはアレがもたらすニュースが私的には一番いい。iPhoneだってGoogleアプリをクリックすれば、全く同じニュースにたどり着くんだけど、Androidの液晶画面で、朝一番にバス停なんかでスワイプしてお気に入りのニュースに会えるのがいい。

今はau系のmineoのSIMしか無いけれど、またdocomo系のSIMが手に入る。それで又Android始めよう、か。

3.5インチiPod touchの快楽。

久々に第四世代のiPod touchを取り出した。やっぱり文章が書きやすい。いいなぁ、iPod touchは。ネット見るならiPhoneだが、文章書くなら、このiPod touchに限る。手触り・サイズ・質感申し分無い。画面だって見やすい。
こうやってダラダラ駄文書くなら、このiPod touchに限る。
   もうiPod touchなんていうのは終わりにしようと思っていた。今のネット環境について行けずブラウザなんかが直ぐに落ちてしまうし。ところが、文章入力機としてこんなに使いやすいのなら、これを使わない手は無い。また復活とあいなった。

iPhone、使ってて心地よい。

故あってルーターのシムをBIGLOBEからマイネオに変更した。そのためこれまでのルーター運用が出来なくなって、ついこの前手に入れたiPhone6にみねおSIMをインストールして自分のネット環境を運用することになった。

使い勝手から言うならGoogleの方がイイんだと思うのだが、iPhone、流石だ、使ってて心地よい。何かしら気分がイイのだ。しばらくはこの体勢で運用していくが、このまま問題も特になくやっていけるのなら、iPhone単独でネットに繋ぐようになるかもしれない。こういうモノって、情報だけでは何とも言えないもんだな。

それでもガジェット生活は続く。

自分の愚かさぶりが身に染みて分かった。自分のことは「ガジェット視野狭窄症」「癒されたい病」「端末アスペルガー」って呼べばいいのか。「正規の」病気の方には申し訳無い言い方だが、私だって立派なビョーキだ。ヒトと真に話の出来ないニンゲンだった。「ヒトにとって一番大切な意味を持つのは、ヒトだ」ってことが根本から分かっていない。よくオタクが「自分の趣味が理解されないなら(自分の趣味を理解しない今の相手との)結婚なんて意味が無い」なんてことを正当な主張だと思っていうけど、それと変わらない感覚だ。私がオタクなのかどうかは分からないけど、アスペルガー的な人間であることは明らかだ。「今いる」相手の思いなどお構い無しにスマホを広げ、そこで流れるニュースに義憤をつのらせて投稿(ポスト)するなんて、ハッキリ言って「キチガイ」の域じゃあないか。

それでも私はこうやってスマホを握っている。悲しい話だが、それ以外の方法を知らないのだ。

思い直した。

数日前に大切なヒトを無くした。ある日突然いなくなってしまったのだ。その時になって、その人が自分にとってかけがえの無いヒトだと分かった。

私がそのヒトと居る時にしていることと言えば、スマホをすることぐらい。つまり、そのヒトの言うこと、やっていること、どんな暮らしをしているかなんて全く興味が無かったのだ。

自分のしていることと言えば、常にガジェットを携え、それに気を取られ、生身の人間の話ではなくて、端末のもたらす諸処のニュースを読み流し、聞き流しているだけ。

なんて無神経で愚かなことをしていたんだと思う。そのヒトは朗らかに話していたけど、「なんだ、自分の言ってることマトモには聞いていないんだ」と思っていただろう、きっと。

後悔しても後悔しきれない。

わたしにとってのガジェットの意味。

私にとって、いかにココロの平穏を得るかは大切な問題だ。つまり、「癒し」を必要としているのである。しかし、私が特別苦労しているとか、切実な問題を抱えているとか、そういうことは全く無い。それでも、常に「ほっこり」する何かを抱えていないと、容易に健康を損ねてしまうだろう。

そういう「ほっこり」にうってつけのガジェット体制というものがある。「ほっこり」の方程式みたいなものだ。それが今の私の場合、Android端末に、トランジスタラジオ(radikoぢゃない)なのだ。あと、これに散歩👣や「コンビニ飲み」が加わったら、文句は無い。客観的に見て、どーにもショボい方程式だ。しかし、色々試してみて結局こういうことになった。気分を高揚させて、全てApple製品で揃えるということもしたんだけど、変に疲れたり、ムダな出費が増えたりする。やっぱり、今の形がいいみたい。

iPhoneで「学ぶ」。

iPhoneiPodあるいはMacなどのアップル端末が自分の心身に悪影響を及ぼしている(根拠無し)ので、普段使用はAndroidで行こうと決めたのだが、では、Apple端末はどうするのか?

今、私が考えているのはiPhoneなどを徹底して「Apple的な教育目的にしか使わない」ということ。Appleは教育の分野というか、ヒトのインテリジェンス向上・リテラシー向上に力を入れており、そのための仕組みや機能を多く備えている。例えばiTunesUは、万人が高等教育を受けられるようにするためのプラットフォームである。Androidにはこんな仕組みは無い。「その気」さえあればフリーで世界のトップ級の大学の講義が受けられるのだからスゴいものだ。極端に言えば、自宅の布団に入りながら一流大学(それも日本に留まらず世界の)の講義が受けられるのだから「革命的」では無いか。

Apple製品のそうした「教育」的な特質を活かして、まさにその為だけに端末を使うようにしてみよう。ネットサーフィンやブログ書きなんかはAndroidに任せてしまうのだ。

一回やってみよう。長続きしないだろうけど、多分。