双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

Nexus7(2012)を初期化した。(怒)

NEXUS7 seven(2012)を初期化した。 このASUSのつくった端末はGoogleのリファレンス機であるにも関わらず、OSをandroid5.xのLolipopにした途端、最悪のダルガジェットになった。このOSが端末のメモリのバグをもろに露呈させてしまうらしい。自分としては道路に叩きつけて粉々になったのを見届けるか、手間をかけて前のOSにダウングレードするかしたいのだけど、取り敢えず初期化してブラウザ専用機にして様子を見ることにした。インストールするアプリを最低限にしている現在はレスポンスはすこぶるイイ。しかし、デフォルトのブラウザのchromeを使ってるとドンドン遅くなるのは経験済みなので、OperaFirefoxとをインストールして使っている。Googleが開発したブラウザを使えないGoogleリファレンス機って一体何なんだ。バカ。 私はGoogleのサービスの大ファンだが、こんな不愉快なことを平気でする(悪いのはASUSかもしれないが)のなら、android端末なんて全部捨て去って、iPadだけで行こうかと考えたりする。。Appleなら製品管理が行き届いているので、こんなことにはならないのでは。(実際そんな話し聞いたことも無いし。) ネット上にはこのNEXUS問題を解決できたかのような浅はかなブログが溢れてるが、尽く検証を欠いた素人記事だった。もっと持続性のあるソリューションを誰か知らないのだろうか。それで仕方なくブラウザだけを使うブラウジング専用機として使っている。だから、このブログも専用アプリを使うのではなくブラウザ上から書いているが、やっぱりかなり書きにくい。 前に使ってた台湾メーカー製のnextbookが無反応と放置放電を繰り返すダメダメタブレットだったが、ブラウザとメール以外は使わないアプリ不使用機にしたら、安定性がすこぶる良くなったので、今回もそうした使い方が現実的なのかなと考えている。この端末は画面はすこぶるキレイなので、暫くはそうしようか。

新たな中華が欲しくなる。

双撃を初期化してインストールするアプリもミニマムにしたら、すこぶる調子がいい。さっきもコンビニのイートインで触ってたんだけど、メッチャスムーズです。

それで、なんか気分が高揚してきて(こんなことでか!)、「こんなに自分の気分に影響するものなら、もっと他にも買ってみたい!」と思えてきた。「こんなのムダ遣い一直線だ、イカん!」と思いつつも、タブレットで中華タブレット専門の通信販売のサイト(「赤札天国」)をしっかり見ている。そして、ココロはフラフラと買い気に走り、「今度は今メインストリームになっている8インチがいいかなぁ」とかほざいている。

このまま行くと間違いなく買うだろう。でも、その際に注意したいのは、決して理想的なタブレットを買うべきではないということ。例えばiPadとかファーウェイの最新機種(MediaPad m3)とかは、買っちゃいけない。

私には「安物買い」の「安物遣い」のところがあって、どうやらそのビンボー趣味が安らぎと喜びの源泉らしい。

その線で新機種のこと考えよう。

双撃S四核を初期化した。

ここんとこ中華パッドの双撃S四核のネット使用時のスピードがとてつもなく遅いので初期化したすることにした。前に使っていた中華パッドのnextbookもどうにも使い物にならず、初期化してデフォルトのブラウザによるネット閲覧の専用機にしたら、かなり使いよくなったのと同じだ。やはりメモリが512MBと最小限のスペックしか持たないものはアプリをマルチに使うなんて無理なのか。(旧型iPodではそうでも無いのだか)

それでしばらくはGoogleのシェルをインストールもせず、出来るだけ素のままでこのタブレットを使うことにした。本当はブログ入力もブラウザ上からしようと思っていたのだが、かなり不自由するので仕方なくブログのアプリはインストールした。それでも重いとなれば、ホントにブラウジング専用とするしかない。

ここまでしてナゼ自分が中華タブレットに拘るのか分からない。サッサと中華タブなんて止めてしまえばいいのだ。なのに、こうやって「中華」に拘っているのは何なんだろう?それほど中華タブが私のリリーフになってるのは確かだ。

ノートPCの良さ・タブレットの良さ

ここんとこ「Macをスタバで開く」という通俗的スタイルに入れ込んでたけど、「Macやっぱりイイ」と感じる一方で、タブレットの良さを再認識することも多い。
例えば、コンビニのイートインに入った時(よく行く)なんかは、ノートPCを開ける感じではない。バスや電車でもそうだ。ノートPCを開くには、それなりに落ち着いた環境が必要であり、カフェのような場所で過ごす時間に「合う」アイテムなのだ。
マクドナルドもよく行くスポットだけど、ポテトやハンバーガーを触って脂ぎった指でMacBookを触るのも躊躇する。こういう時もポテトやハンバーガー食べながら触れることも平気な「安物」タブレットの強みを感じる。あらゆるシュチュエーションで使えるのが安物タブレットの強みだと言える。本当を言えば、どんなに高い(と言っても自分が買えるものだから値段はしれているが)端末でも所詮道具なんだからガシガシ使えばいいのだが。

コンビニでタブレットをイヂる。

「コンビニでタブレットをイヂる」か。何て安っぽく悲しいシュチュエーションなんだろう。さらに当の本人はそこはかとなく幸せまで感じてるんだからよけいに哀れだ。まぁ、いい。虚しさを紛らわしたくて無意味に散財し、それでも満足が得られないというよりは良しとしよう。

ここんとこMacに入れ込んできてたけど、中華タブレットの良さっていうのもわかってきた。それは、マクドナルドなんかでポテトやハンバーガーなんかつまみながらネットする時はMacはちよっと開けない。脂ぎった手でMacはちょっと触れない。でも、これがタブレットだったら、躊躇無し。この気楽さって大切。「道具」っていうのは、使いたい時に自由に使えるもんじゃないと。その意味でMacは道具としての成り立ちを逸脱している。それがMacの文化性であり、単にツールとして捉えられないMacの個性なのかもしれないが、やっぱりネットしたい時にネットできるガジェットの方が実用性の点で優れているのは確かだ。

実際、マクドナルドでは、この双撃(n70四核)を使ってたし、セブンイレブンのイートインでも、MacBookは出さずに双撃とかiPhoneでネットしてた。この「使い勝手のよさ」「ハードルの低さ」が中華タブレットの魅力だろう。

中華でやり直す

ここんとこMacMacで来て、ちよっとやり込み過ぎ。ゲームボーイにハマった小学生みたいに、それしかやらないし、考えてない。Macの虜になっている、つまり囚われているのだ。こんなに不自由なことになるんだったら、前みたいに中華タブでガシガシやっている方が自由だ。ドミトリー生活にも合ってるし。ミニマリスト的にスッキリやりたいと思っているのにコレじゃ何してるのか分からない。ちよっとマックから離れよう。おカネ一杯使った後で勿体無いけど。

シンプルライフっていうのは、モノがあり過ぎると出来ないな、やっぱり。私の場合だったら、Macどうのこうのっていう拘り捨てて中華タブレットで自由に文章書いてるくらいがいいんだろう。

 

マック熱に浮かれる。

「最近自分の中で絶賛大ブームになっているApple熱だけど、本当アブナイことになっている。新たにMacBookを買い増そうとしているのだ。新たにノートパソコンを買い増す理由など何処にも無い。なのに10万円くらいは平気で使うつもりでいるのだ。

そもそもブログを書くために必要なガジェット(仕事はChromebookでしかしない)なのに、そんなもんに何故10万も掛ける気になったのか。ブログで稼げ出すほどのブロガーならまだしも、わざわざブランドのノートパソコンをカフェで開いて喜びに浸るなんざ自己満足も甚だしい。

それを全て承知と言うならそれはそれで論は成り立つが、自分でも何がしたいのか良く分かってないのだから、そんなノリで新たにパソコンなんか買うべきぢゃない。こうやって中華タブの画面ガシガシして文章入力してるのが現実的でマトモだというもんだろう。」

 

と言ってたのに、結局沸き立つ欲望に勝てず。中古Macを買う手はずを打ってしまった。それも2台もの中古Macを。私の場合はスタバでMac開いている自分をアピる趣味は全く無いが、Macを触ることがホントに癒しになっている。何故そうなのかは自分でも全然わからないけど、まだ自分がベージュMac(PowerPCを積んだデスクトップ)を初めて触ってからそうなのだ。なぜかAppleコンピュータで文章を打っていると「救われる」のだ。Windowsではダメだし、他に私は自分を癒す手段を知らない。そういうマック熱が又再発したのだ。ハッキリ言ってバカらしい。なんでコンピュータなんていう商品が自分の在り方を左右するのか。それだったら、サーファーが「このボードでなきゃダメなんだ」とか調理師が「この包丁でなきゃ有り得ない」っていうのなら分かる。それが何者でもない人間が「Macで文章打たなきゃ癒されないんだ」ってほざいても何の説得力も無い。でも、私としてはどうしてもMacが必要で今回の高価な買い物を後悔してない。ハマるにしてもヤクとかギャンブルよりはマシだろう。最後はそう言い訳することにしている。