双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

貧乏趣味がヒトを育てる。

小さな液晶画面に向かって文章を書く。それで結構大きな満足を得られる。
そこがスマホの良さだ。つまり、最初に中古でもいいからハードを手に入れて、それを使って未来永劫楽しむことが出来たりする。確かにスマホの提供する世界は貧しい世界なのかも知れないが、ビンボーながらも楽しくやれるなら、こんなに有難い端末はないではないか。
一体こんな小物で何れだけ楽しめるのだろう?文章を書く楽しみがあるのなら、これほど楽しいガジェットは無いと思う。

新たなブログはじめ。

2018年のこの日に新たにブログを始める。(って言うか、これまでの「双撃日記」の後に続けて書いているだけ。)
目的は自分の貧困ライフをみつめるため、ってか、これまでの私は自分を甘やかし、無駄なことにお金を使い過ぎたのを反省するため。今年こそ出来るだけビンボーにやりたいし、するべきだと思うし、それでこのブログを始めた。
今でも「遊び」に行きたいんだけど、今年は絶対そんなことしない。「遊び」に行けず、キレてもイカレても行かない。そう誓ったのだ。
今まで友だちと群れて飲み会するのスキだったけど、もうそういう情熱も無くなってきたみたい。って言うか、もうそんな喧騒におカネ使いたくない。このiPhoneを唯一のトモとして街中をフラつく。それでいいのだ。そういうお金の反省を書いていこう。

iPhoneしてるとAndroid懐かしい。

一体全体何なんだろう?と思うけど、今みたいに専らiPhone使ってると、Android(HuaweiとかXperia)がスゴく懐かしくなる。何でだか自分でもよく分からない。特にGoogleNOWが懐かしくなる。やっぱり、個人的にはアレがもたらすニュースが私的には一番いい。iPhoneだってGoogleアプリをクリックすれば、全く同じニュースにたどり着くんだけど、Androidの液晶画面で、朝一番にバス停なんかでスワイプしてお気に入りのニュースに会えるのがいい。

今はau系のmineoのSIMしか無いけれど、またdocomo系のSIMが手に入る。それで又Android始めよう、か。

3.5インチiPod touchの快楽。

久々に第四世代のiPod touchを取り出した。やっぱり文章が書きやすい。いいなぁ、iPod touchは。ネット見るならiPhoneだが、文章書くなら、このiPod touchに限る。手触り・サイズ・質感申し分無い。画面だって見やすい。
こうやってダラダラ駄文書くなら、このiPod touchに限る。
   もうiPod touchなんていうのは終わりにしようと思っていた。今のネット環境について行けずブラウザなんかが直ぐに落ちてしまうし。ところが、文章入力機としてこんなに使いやすいのなら、これを使わない手は無い。また復活とあいなった。

iPhone、使ってて心地よい。

故あってルーターのシムをBIGLOBEからマイネオに変更した。そのためこれまでのルーター運用が出来なくなって、ついこの前手に入れたiPhone6にみねおSIMをインストールして自分のネット環境を運用することになった。

使い勝手から言うならGoogleの方がイイんだと思うのだが、iPhone、流石だ、使ってて心地よい。何かしら気分がイイのだ。しばらくはこの体勢で運用していくが、このまま問題も特になくやっていけるのなら、iPhone単独でネットに繋ぐようになるかもしれない。こういうモノって、情報だけでは何とも言えないもんだな。

それでもガジェット生活は続く。

自分の愚かさぶりが身に染みて分かった。自分のことは「ガジェット視野狭窄症」「癒されたい病」「端末アスペルガー」って呼べばいいのか。「正規の」病気の方には申し訳無い言い方だが、私だって立派なビョーキだ。ヒトと真に話の出来ないニンゲンだった。「ヒトにとって一番大切な意味を持つのは、ヒトだ」ってことが根本から分かっていない。よくオタクが「自分の趣味が理解されないなら(自分の趣味を理解しない今の相手との)結婚なんて意味が無い」なんてことを正当な主張だと思っていうけど、それと変わらない感覚だ。私がオタクなのかどうかは分からないけど、アスペルガー的な人間であることは明らかだ。「今いる」相手の思いなどお構い無しにスマホを広げ、そこで流れるニュースに義憤をつのらせて投稿(ポスト)するなんて、ハッキリ言って「キチガイ」の域じゃあないか。

それでも私はこうやってスマホを握っている。悲しい話だが、それ以外の方法を知らないのだ。

思い直した。

数日前に大切なヒトを無くした。ある日突然いなくなってしまったのだ。その時になって、その人が自分にとってかけがえの無いヒトだと分かった。

私がそのヒトと居る時にしていることと言えば、スマホをすることぐらい。つまり、そのヒトの言うこと、やっていること、どんな暮らしをしているかなんて全く興味が無かったのだ。

自分のしていることと言えば、常にガジェットを携え、それに気を取られ、生身の人間の話ではなくて、端末のもたらす諸処のニュースを読み流し、聞き流しているだけ。

なんて無神経で愚かなことをしていたんだと思う。そのヒトは朗らかに話していたけど、「なんだ、自分の言ってることマトモには聞いていないんだ」と思っていただろう、きっと。

後悔しても後悔しきれない。