新たなブログはじめ。
2018年のこの日に新たにブログを始める。(って言うか、これまでの「双撃日記」の後に続けて書いているだけ。)
目的は自分の貧困ライフをみつめるため、ってか、これまでの私は自分を甘やかし、無駄なことにお金を使い過ぎたのを反省するため。今年こそ出来るだけビンボーにやりたいし、するべきだと思うし、それでこのブログを始めた。
今でも「遊び」に行きたいんだけど、今年は絶対そんなことしない。「遊び」に行けず、キレてもイカレても行かない。そう誓ったのだ。
今まで友だちと群れて飲み会するのスキだったけど、もうそういう情熱も無くなってきたみたい。って言うか、もうそんな喧騒におカネ使いたくない。このiPhoneを唯一のトモとして街中をフラつく。それでいいのだ。そういうお金の反省を書いていこう。
3.5インチiPod touchの快楽。
それでもガジェット生活は続く。
自分の愚かさぶりが身に染みて分かった。自分のことは「ガジェット視野狭窄症」「癒されたい病」「端末アスペルガー」って呼べばいいのか。「正規の」病気の方には申し訳無い言い方だが、私だって立派なビョーキだ。ヒトと真に話の出来ないニンゲンだった。「ヒトにとって一番大切な意味を持つのは、ヒトだ」ってことが根本から分かっていない。よくオタクが「自分の趣味が理解されないなら(自分の趣味を理解しない今の相手との)結婚なんて意味が無い」なんてことを正当な主張だと思っていうけど、それと変わらない感覚だ。私がオタクなのかどうかは分からないけど、アスペルガー的な人間であることは明らかだ。「今いる」相手の思いなどお構い無しにスマホを広げ、そこで流れるニュースに義憤をつのらせて投稿(ポスト)するなんて、ハッキリ言って「キチガイ」の域じゃあないか。
それでも私はこうやってスマホを握っている。悲しい話だが、それ以外の方法を知らないのだ。
思い直した。
数日前に大切なヒトを無くした。ある日突然いなくなってしまったのだ。その時になって、その人が自分にとってかけがえの無いヒトだと分かった。
私がそのヒトと居る時にしていることと言えば、スマホをすることぐらい。つまり、そのヒトの言うこと、やっていること、どんな暮らしをしているかなんて全く興味が無かったのだ。
自分のしていることと言えば、常にガジェットを携え、それに気を取られ、生身の人間の話ではなくて、端末のもたらす諸処のニュースを読み流し、聞き流しているだけ。
なんて無神経で愚かなことをしていたんだと思う。そのヒトは朗らかに話していたけど、「なんだ、自分の言ってることマトモには聞いていないんだ」と思っていただろう、きっと。
後悔しても後悔しきれない。