双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

もう「クズ」にはなりたくない。

この世には「クズ」みたいな、って言うか「クズ」としか言いようのない人間がたくさんいる。私の母方や父方はそういう人間を多く生み出す家系らしい。家族親戚見渡すと結構タイヘンなことになっている。私も確かにその血を引いていると思う。自分ではまだマシな方だと思っているが、「クズ」ほどそうやって自分を免罪するので、自分でも自分の言説など信用出来ない。

「クズ」かどうかを知るためにはカネの使い方を見ればスグにわかる。貧困は社会の問題だとよく言うが、それは新聞やメディアがよく見せる営業上の表現に過ぎない。貧困は十中八九そいつの責任であって、国家の責任ではない。分不相応の買い物、無駄な買い物の連鎖、計画性の無いカネ遣い、それに尽きる。今の日本で餓死することは無い。今の日本はかつて無いほどの社会主義国家なのだ。それはともかく、私のクズっぽいカネの使い方は3つある。それは「株式投資」、フーゾク、ガジェット製品の無駄買いだ。自分には投資の才能があるかの如く思い込んで、せっかく働いて得たカネを「投資」と呼ばれるドブ川に捨ててきたし、「癒し」と称してはフーゾクに赴き、オーディオ製品からPC・ガジェットを次から次へと買い込む。救いはそれを経済的に破綻するほどやり込むことは無いということか。その辺の計算は理解出来るらしい。しかし、自分では認めたくないが、私のクズ度はかなりのもんだ。

 

ブログの方向転換

これまで、このブログは基本として「中古端末は我が癒し」ということで書いてきた。しかし、今では私の趣味もかなり変わってきており、って言うか、自由になるお金を得たので、いわゆるコストパフォーマンスというものには前ほど拘る必要が無くなってきたのだ。

そうなると、日本のスタンダードであるiPhoneの弱さが分かってくる。これまでのようにiPhoneは高嶺の花では無くなったので、それへよ志向を抑圧する必要も無くなったのだ。

ココロのどこかでは、スマホタブレットも全面的にアップル製品に移行していいかなとも思っている。

しかし、ちょっと冷静になって考えると、Androidの製品にも、それなりに魅力のあるモノも多い。XperiaやGALAXYなんか、その代表だ。

私はXperiaを持っているが、これが結構いい感じだ。

iPhone6、調子わるし。

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iPhone6の調子が悪い。今までスマホでこんなこと無かったのに、とっても不快だ。 

 

って書いたのが、今年の4月6日。そして、今(8月2日)も調子悪い。って言うか、ホント肝心な時に使えなくなる。ストレスMAXだ。

 今、ちょうど旅行の最中なんだけど、私は行く先々で写真撮って、コメントして、ツイートする。そんな時に固まったらどうだ?いくら画面をタップしても反応しなかったり、異様に入力スピードが遅くなったり、ホント、腹立つ。

iPhoneの魅力の一つは画面の反応の速さ、滑らかさなのに、Androidの初期のやつにも劣るって何なんだ。まぁ、個体の問題だと思うんだけど、気分悪し。

B and B とiPhoneだけで暮らしたい。

あんまり意味の無い妄想なんだけど、家を思いっきり断捨離して、メチャクチャシンプルにしたい。台所の他には、ベッドがあるだけ。つまり、眠れて朝食が取れたら、それでイイって言う家。

イメージ的には、いっ時よく泊まったドミトリーハウスのベッドを思い浮かべている。キレイなシーツを敷いたマットレスがあって、カーテンを閉められるようになっている。その狭い空間でスマホするのが至福の時となる。そんなイメージ。

多分ミニマリストの生活ぶりの影響なんだろうけど、ホント寝るところとスマホがあれば全て事足りるのだ。自分でも驚くけど。

結局iPhoneに戻る。

ルーターに挿していたSIMを、結局又iPhoneに戻した。思うのは、モバイルルーターって、なんかダルいということと、iPhoneやっぱり安心感あるということ。

昨日、お茶したヒトもiPhone(多分6)持ってたけど、それがカッコ良かった。そのiPhoneはもうバリバリに割れて基板も見えていたんだけど、iPhoneなら、それも又ヨシって感じがした。「やっぱりiPhoneいいよな」って自然に思った。iPhoneのブランド力にインフルーエンスされてるんだったら、それはそれで良し、もう抗うことも無いだろう。

iPhone使わずにXperiaやファーウェイ使おうと思ってたんだけど、結局こうなった。

中華タブレットの再発見

最近ずっとiPhoneiPad志向でいた。iPadでなきゃイケない、iPadでなきゃ仕事をスムーズに片付けることも出来ない、なんて考えていた。

でも、今日久しぶりに7インチの中華タブレットを触ってて「んな訳無いだろー」って感覚を又取り戻した。もそもそ、なんで中華タブレットに触ろうと思ったのか。iPadPro買って、仕事バリバリやろうかと思っていたのに、又前の私の定点である中華タブレットに戻ってきたのは何故か。

それは「マンガ」だ。

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Amazonって、ホントありがたい事に沢山の本やマンガをフリー(無料)で読ませてくれる。私は元々はかなりのマンガ好きで、小学校くらいまではマンガのために生きていた、と言えるほどだった。

それがまともにベンキョーというものをするようになってからは、マンガから遠ざかり、もう自分からマンガを買うような年齢では無くなった。

ところが、AmazonKindleで読めるマンガを揃えてくれている、のいうのを知って、中華タブレットのマイナーな使い道として、マンガを読んでみることにした。

すると、たまたま無料マンガから選んだ「放課後カルテ」ってマンガがむちゃくちゃ良かった。なんかココロから楽しめたし、お金もかけずにイイ時間が過ごせた。

要は端末ではなく、コンテンツなのだ。iPadだからイイのではなく、そこに載っかるソフトの問題なのだ。

この経験をして、私のiPad熱は急速に冷めた。来週にでもAppleストア行って、iPad買おうかという勢いだったのだが、そういうことでは無い。

前から気づいていた事なんだが、又同じようなアナにハマっていた。怖いよね、物欲ってうのは。

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E8%AA%B2%E5%BE%8C%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%86

 

 

 

 

 

 

 

新しい暮らし方って。

最近よく言われてる生き方って、おおよそ次のようなものではないだろうか。

まず、住まいはまちがっても豪邸なんかには住まず、マンションやリニューアルされた団地に、殆どモノを置かず、ミニマル系っぽいスタイルにまとめている。仕事は会社定住ではなく、モバイル的なリモートワーク。時にはカフェなんかで仕事する。遊んでるみたいだけど、クリエイティブな仕事なので、それなりの収入がある。

そういう風に私は捉えていたんだけど。

私もそういうのにかなり憧れてた。私がイメージしてたのは、こうだ。

もはや、家などには住まず、シェアハウスとかドミトリーに住んでいる。そして、仕事はモバイルするためのガジェットを持ってスタバとかシアトル系のカフェショップでやっつけてしまう。そういうのがこれからの時代の最先端って言うか、もっとも快適でオシャレな働き方・住み方だと思っていた。

今でもそういうのって悪くない、っておもってる。でも、何回かそれに近いことを試しているうちに「ちょっとコレは違うな」と思うことも沢山出てきた。

1-まず一つ目は、カフェの中って、例えそれがお洒落系のものでも、かなり騒音がして煩いってこと。まぁ、洒落た音楽は確かに鳴っているんだけど、そういう中で仕事してると、流れてるBGMや周囲のお喋りの圧で神経がヘトヘトになってしまうのだ。

2-二つ目はシェアハウスやドミトリーハウスは住環境としてはかなり劣悪だということ。まぁ、これはちょっと考えれば分かるんだけど、みんながみんなしっかりとした衛生感や公衆道徳を備えている訳ではないのだ。見ず知らずの人とひとつ屋根の下で暮らすというのは結構緊張するもので、悪くすると「不潔」なんてことが全く気にならないニンゲンの天下になり、「神経質な」キレイ好きは、しょっちゅう磨いたり掃除したりゴミ捨てたりすることになるだろう。これは実際にそういう生活をしてたヒトのブログを読んで分かったことだ。

さらに自分の正規の住処を持たず、仕事も正社員ではなく、請け負いっていうのはあまりにもフリー過ぎるのではないか。資本にいいように使われるだけなのでは。