双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

スタバぢゃやっぱりiPhoneか。

久々にスタバってる。どうも最近アルコールに流れてるので、又カフェ系に戻したいのだが、今日はカフェって気分なので、久々にやって来た。

ところが今日はiPhone持ってきて無い。最近余りにも携行する端末が多すぎて、いつもカバンは重量オーバー上体なのだ。

で、今日持ってきたのはXiaomiのMi Mix2とHuaweiのP20liteの二台。とくにXiaomiは画面が大きいので、さぞ街中で使い安かろうと思って持ってきた。


f:id:dressbot:20190123181139j:image

ところが、今の気分を正直に言うと、「Xiaomi、なんかスタバにそぐわない」って感じなのだ。Xiaomiに限らず、やっぱAndroidではなんかダメっぽい。スペック的には文句無いのだが、そういう問題ではないみたいだ。これがブランドの力なのか、それとも私がブランド信仰に蝕まれた、骨の髄までスノッブなのか、とにかく違和感を感じた。

バスの中やコンビニのテラスなんかでは、Androidの方が気楽でいいのだが、なんか発してるものがビミョーに違う。

私の場合、この種の問題に決着は決してつかない。ある時はAppleの圧勝、ある時は神の啓示によりAndroid。まぁ、どっちでも何とかなるのだろう。そういう葛藤を感じたいだけなのかもしれない。

Xiaomiの悪口をもう少し言ってしまうと、「なんか可愛く無い」のだ。手に馴染まないっていうか、、。その点Huaweiは良い。出来たらMateなんかも手にしてみたい。

知的道具としてのApple

大学のレポートなんかを書くときにもパソコンよりもスマホタブレットを使う。そんな時、AndroidAppleの差異をハッキリ感じ取ること事がある。

例えば、参考にしたい文献がPDFで公開されていると、それを閲覧・保存したくなるとする。Appleなら、OS(iOS)にデフォルトでPDFを扱うアプリが付属している。しかし、Androidにはそのような機能は無いので、自分でそれに見合ったアプリを探す必要がある。さらに見ているサイトをPDF化する機能もあるので、参照したいサイトがいつのまにか無くなっても困る事はない。

やっと仕事モードに戻ってきた。

年末から今までずっと不安定な状態でいた。Androidで行くか、iPhoneでいくか、ホントどーでもイイことで頭と神経をすり減らし、多大な時間を無駄に過ごしてきた。それでカラダや心が休まったのならまだしも、イライラは募るばかりだった。

問題がハッキリしてきた。私は最近「ノマド」してないのだ。どこかのドミトリーに泊まり、なんとかそこで仕事をする、あの「不便な幸福」に包まれないでいる。 

私はガジェットなんかに神経を向けてはならないのだ。もともとが「神経症」的な人間なのに、それを増幅させるような対象に神経を向けてはならない。

その点、住まいや環境整備・掃除なんかに注意を向けるのはいい。それもノマドして、ドミトリーに泊まるようなシュチュエーションが私の神経を健康にしてくれる。

そこで、このブログにももっとそういう「健康的」な話題を書くようにしたい。端末のことに深く入っていくのは、私には危険みたい。ちょっとスマホタブレットの話題からは離れるようにしたい。

中華からアップルへ

この文章はiPhone6に、BluetoothAppleキーボードを組み合わせて書いている。やっぱり私には、この組み合わせが一番いいみたいで、スラスラ書けてしまう。

前に「アップルのエコシステムに囚われてなるものか、中華でガンバるぞ」みたいなことを書いていたが、全然こっちの方がいい。文章ライティングは断然アップルだ。気分もいいし。できれば代官山の蔦屋にあるスタバで書いてみたいものだ。どうしよう?やっぱりアップルだなあと今は思っている。AndoroidとOneNoteという組み合わせも考えてみたんだが、どうしてもこの書き良さに抗えない。

って言うか、いくら中華Androidがハードスペックをあげてきたところで、「バッタもの」なのだ。iPhoneiPadに到底及ばなかったAndroid2.xの時と実は何も変わっていなかったのだ。それをいつのまにか中華タブとアップル製品を同等なものだと思っている、そこが間違っていた。

しかし、「バッタもん」だと斬って捨てるからこそ、中華タブの本当の魅力が見えてくる。その怪しさ、胡散臭さ、安物くささが消えないのに、結構使えてしまうという事実に驚愕する。

もっと「中華タブ」はiPhoneにはおぼつかない安物と割り切り、その実用性のみに存在意義を求め、毎日の生活の中で気軽に手荒に扱うことが大切なのだ。

いつのまにか「中華タブ」に気を使い、アップルに気を使い、そうしたスマホタブレットの機嫌取りみたいな状態になっていたと思う。

Apple 端末で書く。

ネットを見るのなら、やっぱり中華Androidの方がいいのだが、文章を書くとなると、どうしてもApple に傾いてしまう。これから中華で行こうと決心してみても、その決心虚しくiPadなんかで文章を打ちたいと思う。

もう、どっちにするかなんて決めるのは止めよう。もう両方でいく。って言うか、これくらいの「浮気」だったら、全然イイんぢゃないか?

なんか変に決めようとしてどれだけ時間と神経をすり減らしたか。もうこんなバカな人生の浪費、二度としたくない。不要と思った端末はヘンに高く売ろうとしないで、安くてもたたき売ってしまうことにした。大体直ぐに要らなくなるものを買う方がバカなのだ。

「勿体ない事をしたくない」なんて思ってるのがオカシイ。スマホを二台以上買う時点でバカなのだ。そして、私は自分にそのバカを許したのたこら、その後で賢く立ち回ろうなんて甘過ぎ。

ところでこの文章ATOKで書いてるんだけど、結構使えるかな。

 

で、これからはネットはAndroidで、何か書くのはiPhoneでやっていこうと思う。

スマホを無くしたと思った。

昨日バス中でカバンからスマホ(HuaweiP20)を取り出そうと思ったら無い。慌ててカバンの底をまさぐるが、やっぱり無い。「落とした!」と思った。さっきまで乗ってた電車の中では確かあったはず。いや、その後に寄ったスーパーで支払う時に落としたのか、いやいや、落ち着いて調べればあるはず。そんな感じで全然方向が定まらない。すぐにでもバスを降りて、明かりのある道端ででも、カバンの中を全部ブチまけてチェックしたかった。

バスや鉄道の落し物係に直ぐに連絡しなきゃと思ったり、Androidも確かiPhoneみたいにロケーションを特定したり出来たはず、アレどうするんだっけとアレこれ思ってた。ハードの紛失は確かにイタいけど、それ以上にロックを開かれてプライバシーが暴かれるのが不愉快だ。って言うか怖い。

ああ、しょうがない、なんて自分はバカなんだ、こういう事ばっかりしでかしてと思ってたら、隣に座ってた女性(学生くらい?)が降りた。ふと見ると座席のうえに私のHuaweiがあった。ポケットに入れてて落としたのかな(自分にはその端末をポケットに入れたという自覚は無かった)?バスは満員でギューギューに座ってたのだが、その彼女と私の間にずっと落ちてたみたい。

ホント、「ありがとう!」って思った。と同時にこのHuaweiの大切さを思い知った。これは私に大切な端末なのだ。なんかムダに沢山ハードを持っていて、自分でも分からなくなっている。

ちょっと、考え直さないとね。(何を?)

もじに

現在メインの機種としてHUAWEIスマホ(P20liteを使っているのだが、どうも電力消費が激しい。何でだろうと思って調べてみると、どうやらSimejiが常に動いていて電力を消費してるのだ。ちょっとコレは気持ち悪い。中国が常にユーザーを監視してて、そのデータをサーバーに送ってるのか?と本気で思ったりする。

それで今IMEの乗り換えを検討して、ATOKの試用版(半月の限定利用)を使ってる。この文章もそうだ。Googleの日本語入力もあるんだけど、インターフェイスが全く気に入らない。キーボードに仕切りの線が無いのもきにいらないし、キーボードの四方の端に入力ガイダンスの小さな文字があるのも気に入らない。それで有料だけど、パソコンの時から馴染みのあるATOKにしてみようと思ったのだ。

ただユーザーコメントを見るみると、あんまり評判は良くない。

しかし、今のところ、自分が使うには問題なし。

で、ここからはSimejiで書いてみたんだが、うーん、こっちの方がイイかなって思う。keyboardがスッキリしてるのだ。ATOKに1500円払うなら、電気消費が少将激しくても良いからSimejiにしておこうかと思えてくる。