双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

「中華」に安堵する。

さっきまでApple製品群を買おうかと画策していた。しかし、そういのに神経を使っていると、Androidの鷹揚さと中華端末の安っぽさが恋しくなる。何故だろう。

確かにApple製品はシャレているし、モノとしての硬質な輝きがある。しかし、そういうAppleならではの魅力が、なんだかイライラの原因になっている。少なくても私には。

本質的なモノのみが満たされ、いわゆる記号論的な魅力は切り捨てられている。それがスッキリしてて心地よいのだろう。

今、LGの10.1タブレットAmazonプライムで供給されるフリーの映画「MANON FIRE」を見ながら、中華パッドでこれを書いている。

悪くない。イイ気分だ。Appleぢゃ、こういう雑然としたシアワセな気分にはなれない。

Appleは確かに高性能でクリーンだが、一旦こういうの志向し出すと、どこまでも「クリーン」でいることに執着するようになる。それがキケンだ。

それで半ば強制的に自分をiPhoneiPadから引き離し、Appleはコンピュータだけを使うことにした。あるいはiPhoneiPadあくまでもメインコンピュータのMacの入力端末として使うのだ。

Android中華のいい所は、Appleみたいに製品の体系なんかを気にかけなくてイイということだ。ほとんど知らないどこかのメーカーのモノを適当に組み合わせて使えばいい。それだけだ。

せっかくお金をためて、Appleの新製品を買えるようになったのに、そうしてはならないと何かが言う。不思議なことだ。