双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

知的ツールとしてのiPhone

私は新聞をよく読む。読んでて「これは残しておきたい」という記事にもよく出会う。これまでは切り取っていたが、結局どこかに紛れてしまい、又取り出して読むことは無い。それで最近やっているのは、スマホで写真を撮り、それをTwitter上なんかに残しておくのだ。これまではスマホのカメラが新聞の文字を写すなんて、解像力の関係から出来なかった(前のiPodtouchなんか、たったの70万画素)が、スマホのカメラが800万画素を超えたあたりから十分スキャナーとして使えるようになった。

で、考えたのが、「新聞スキャナー」として適したカメラを持つのはiPhoneなのか、それとも他の中華なのかということだ。景色を撮るカメラとしての比較はよく企画されてるが、新聞スキャナーとして優れてるのはどちからかなどという観点は無かったように思う。

同じ記事を、普段使ってる自持ちの二台で撮ってみた。


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こちらがHuaweiのP20LITEで撮ったもの。

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これがiPhone6

結果は一目瞭然、iPhoneの勝ちだ。ファーウェイで撮ったものは、もはや字が潰れて読めない。元の写真ではしっかり撮れているのだが、なぜかアップすると読めない。原本でも、何か字が細くてギラギラした感じがする。一方、iPhoneでは新聞の紙の質感って言うか、字体のやさしさもうまく表している。写真データを扱うアルゴリズムの差なんだろうか?

「新聞好き」の私としては、断然iPhoneだ。

それから今の二つの写真をはてなブログ上で比べてたら、iPhoneの方のはてブログでは、載ってる写真をダプルタップすると拡大して新聞記事を読めるのだが、Androidの方では、それが出来ないのだ。こんなこと知らなかった。

ちよっと、この差は大きい。全面的にiPhoneに移行する理由にもなりうる。PDFの扱いなんかでもiPhoneAndroidより便利だったのだが、こういう事も分かってくると、かなりiPhoneに傾いてしまう。

 

 

早速iPod touchで書いてみたけど。

早速iPod touchで書いてみたけど、今度は小さすぎると感じた。で、HuaweiのP20LITEで書いてみたら、「うーん、これくらいがイイかなぁ」って感じた。やっぱり、次はiPhone7か8がいいのかなぁ。好奇心で頑張ってもXsだ。XsMAXとかXRは無いと思う。

自分的にはiPhone6から8がサイズ的にも重量的にも、そして手触りもベストな選択だと思ってる

今持ってる中華は、Kindle端末として使ったらどうだろう。ブラウザー専用機としても良いだろうし。でも、文章を入力する端末(私の中では、それがメインだということ)としては、iPhoneが一番だと思う。

 

ところでタブレットって、街中では驚くほど使わない。それこそ大きめの画面を持ったスマートフォンで十分。

私においてスマートフォンっていうのは、自分の「文章作成欲」(そんなものがあるのか?)を満たすためのツールなのだ。

それに合ったものが、今のところHuaweiのP20LITEなのだ。

端末重量問題

新しい端末が欲しくてたまらない。いや、「たまらない」って程でも無いか。でも、終始そのことを考えている。iPhoneXsか、Huawei Mate20Proか。あるいはその両方か。 

でも、大画面のスマートフォンを使ってて気づくのは、その「重さ」だ。私的には文章を打つ最良のツールはiPod touchだと思ってるので、最近の端末は、大画面ゆえ見栄えはイイが、実際は使ってても重さが気になるかも。

例えば三方ベゼルレスのXiaomi Mi Mix2は、画面は大変快適だが、185gという、その重さはちょっと不便だ。常に重量を感じてスマホを弄っていることになる。

iPhoneXsMAXの重量は234gだと言うから、ちょっとお話にならない。XRも194gあるし。最新のiPhoneはダメかなぁ。Xsは177gだから、どれも選びにくい。iPhone7なら138gなんだけど。

今のところ気に入って使ってるHuaweiのP20LITEの重量は、145g。やっぱり重量が150g越すとしんどい。もしかしたら、今の私には、このHuaweiP20LITEが一番なのかも。憧れのMate20Proだって189g。この「重い」Xiaomiと一緒ぢゃないか。

皆はこの「重量問題」感じないのだろうか。iPod touchなんか、なんと88g。XsやMateの半分の重量だ。

私的にはネットサーフィンは大画面の中華でやって、文章入力はiPod touchでやったらいいかなと思ってる。そんな邪魔くさいことするヒト、他にはいないだろうけど。私は大学のレポートなんかもずっとiPod touch片手に書いてきたので、そういうスタイルにスゴい愛着があるのだ。逆にそういうことが出来ない最近の重量級端末には馴染めないかも。

まぁ、こういうことに気がついたのも、重いXiaomiの端末に触って初めて分かったことだ。

ちょっと棲み分け考えようかな。

 

スタバぢゃやっぱりiPhoneか。

久々にスタバってる。どうも最近アルコールに流れてるので、又カフェ系に戻したいのだが、今日はカフェって気分なので、久々にやって来た。

ところが今日はiPhone持ってきて無い。最近余りにも携行する端末が多すぎて、いつもカバンは重量オーバー上体なのだ。

で、今日持ってきたのはXiaomiのMi Mix2とHuaweiのP20liteの二台。とくにXiaomiは画面が大きいので、さぞ街中で使い安かろうと思って持ってきた。


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ところが、今の気分を正直に言うと、「Xiaomi、なんかスタバにそぐわない」って感じなのだ。Xiaomiに限らず、やっぱAndroidではなんかダメっぽい。スペック的には文句無いのだが、そういう問題ではないみたいだ。これがブランドの力なのか、それとも私がブランド信仰に蝕まれた、骨の髄までスノッブなのか、とにかく違和感を感じた。

バスの中やコンビニのテラスなんかでは、Androidの方が気楽でいいのだが、なんか発してるものがビミョーに違う。

私の場合、この種の問題に決着は決してつかない。ある時はAppleの圧勝、ある時は神の啓示によりAndroid。まぁ、どっちでも何とかなるのだろう。そういう葛藤を感じたいだけなのかもしれない。

Xiaomiの悪口をもう少し言ってしまうと、「なんか可愛く無い」のだ。手に馴染まないっていうか、、。その点Huaweiは良い。出来たらMateなんかも手にしてみたい。

知的道具としてのApple

大学のレポートなんかを書くときにもパソコンよりもスマホタブレットを使う。そんな時、AndroidAppleの差異をハッキリ感じ取ること事がある。

例えば、参考にしたい文献がPDFで公開されていると、それを閲覧・保存したくなるとする。Appleなら、OS(iOS)にデフォルトでPDFを扱うアプリが付属している。しかし、Androidにはそのような機能は無いので、自分でそれに見合ったアプリを探す必要がある。さらに見ているサイトをPDF化する機能もあるので、参照したいサイトがいつのまにか無くなっても困る事はない。

やっと仕事モードに戻ってきた。

年末から今までずっと不安定な状態でいた。Androidで行くか、iPhoneでいくか、ホントどーでもイイことで頭と神経をすり減らし、多大な時間を無駄に過ごしてきた。それでカラダや心が休まったのならまだしも、イライラは募るばかりだった。

問題がハッキリしてきた。私は最近「ノマド」してないのだ。どこかのドミトリーに泊まり、なんとかそこで仕事をする、あの「不便な幸福」に包まれないでいる。 

私はガジェットなんかに神経を向けてはならないのだ。もともとが「神経症」的な人間なのに、それを増幅させるような対象に神経を向けてはならない。

その点、住まいや環境整備・掃除なんかに注意を向けるのはいい。それもノマドして、ドミトリーに泊まるようなシュチュエーションが私の神経を健康にしてくれる。

そこで、このブログにももっとそういう「健康的」な話題を書くようにしたい。端末のことに深く入っていくのは、私には危険みたい。ちょっとスマホタブレットの話題からは離れるようにしたい。

中華からアップルへ

この文章はiPhone6に、BluetoothAppleキーボードを組み合わせて書いている。やっぱり私には、この組み合わせが一番いいみたいで、スラスラ書けてしまう。

前に「アップルのエコシステムに囚われてなるものか、中華でガンバるぞ」みたいなことを書いていたが、全然こっちの方がいい。文章ライティングは断然アップルだ。気分もいいし。できれば代官山の蔦屋にあるスタバで書いてみたいものだ。どうしよう?やっぱりアップルだなあと今は思っている。AndoroidとOneNoteという組み合わせも考えてみたんだが、どうしてもこの書き良さに抗えない。

って言うか、いくら中華Androidがハードスペックをあげてきたところで、「バッタもの」なのだ。iPhoneiPadに到底及ばなかったAndroid2.xの時と実は何も変わっていなかったのだ。それをいつのまにか中華タブとアップル製品を同等なものだと思っている、そこが間違っていた。

しかし、「バッタもん」だと斬って捨てるからこそ、中華タブの本当の魅力が見えてくる。その怪しさ、胡散臭さ、安物くささが消えないのに、結構使えてしまうという事実に驚愕する。

もっと「中華タブ」はiPhoneにはおぼつかない安物と割り切り、その実用性のみに存在意義を求め、毎日の生活の中で気軽に手荒に扱うことが大切なのだ。

いつのまにか「中華タブ」に気を使い、アップルに気を使い、そうしたスマホタブレットの機嫌取りみたいな状態になっていたと思う。