双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

安堵の道具としてのAndroid

Androidのダメぶりが分かったからと言って、Appleに全面的に移行するのかと言うと、多分ノーだ。使いづらいとか機能が劣るからと言って、なんら問題では無い。

ホント、この辺を説明するのが難しいけど、怪しくて何か不足してるからこそ「使いたい」とさえ思っている。

iPhoneは素晴しい、Appleのエコシステムはカンペキだ。だからと言って「スキ」にはなれない。「スキ」だらけで抜けているAndroidの方がどうも使っていて快適なのはどういうことだろう?どこかに特殊な美意識が働いているんだと思うんだけど。

 

ダメ端末としてのAndroid

今回の実験で、新聞スキャナーとしてAndroid端末は使えないことが分かり、端末としてのiPhoneとの差は致命的な差となった。

それで私がAndroidを全面的に捨ててしまうのかと言うと、そうでも無い。むしろ、ダメ端末だからこそ、可愛くなってくることもあるのだ。

確かに論文書いたり、新聞をスキャンしたり、何か学んだりするのは圧倒的にiPhoneなのかもしれない。しかし、ふだん遣いでただダラダラとネットしたり、愚にもつかない内容の文章をブログやTwitterで垂れ流すならAndroidの方が気楽でイイではないか。

Androidの最大の魅力とは、その怪しさであり、使えなさ、安っぽさなのだ。

この差はどこから。

私は新聞記事をウェブ上にスクラップしておくためにスマホで写真を撮り、それをブログやTwitter上に残しておくのだが、それをiPhoneでやったのとAndroidでやったのとでは、かなり結果に違いが出ることがわかった。例えば新聞の全紙半面を撮ると、以下のような違いが出る。


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前者はAndroidHuaweiで撮ったもの、後者はiPhone6で撮ったものをTwitterに上げたものだ。それをそれぞれ同じ端末でスクショしている。

明らかに違いがある。iPhoneの方は字体が細部まで表現されているのに、Androidの方は字が潰れている。ちょっとした差では無い。こういうのを見ると、Androidではやっていけないなぁ、って思う。

カメラの解像度にそんなに大きな差があるとは思えない。写真データを扱うアルゴリズムとかOSの差なんだろうか。

 

 

なんか考える。

今日からタブレットを持ち歩くことにした。画面が大きくて、スマホとの情報量の差は圧倒的なのだ。モバイルルーターWiFi接続し、ネットするつもりだった。そして、近いうちにiPadPro買おうと(決心)してた。

 

ところが実際は、タブレットなど全然使わない。出し入れしやすいようにトートバックに入れているのに、取り出したりということも無い。使ってたのは、Huaweiスマホばっかり。しかも、触ってて楽しいし。

 

家の中で考えたニーズと実際にオン・ムーブしている時とでは「必要」加減が全然違うのだ。バスの中や電車の中でタブレットなんて出す余裕など無い。Surfaceなんかもイイかも?と思ってたが、そういうのは最低限カフェで開くもんだと思った。

ブログなんか見ると、結構12インチのiPadProやSurfaceを絶賛する記事が多いが、ああいうヒトはカフェなんかにドッカリ陣取って、自分のブログなんかを結構な時間をかけてつくってるのだ。

知的ツールとしてのiPhone

私は新聞をよく読む。読んでて「これは残しておきたい」という記事にもよく出会う。これまでは切り取っていたが、結局どこかに紛れてしまい、又取り出して読むことは無い。それで最近やっているのは、スマホで写真を撮り、それをTwitter上なんかに残しておくのだ。これまではスマホのカメラが新聞の文字を写すなんて、解像力の関係から出来なかった(前のiPodtouchなんか、たったの70万画素)が、スマホのカメラが800万画素を超えたあたりから十分スキャナーとして使えるようになった。

で、考えたのが、「新聞スキャナー」として適したカメラを持つのはiPhoneなのか、それとも他の中華なのかということだ。景色を撮るカメラとしての比較はよく企画されてるが、新聞スキャナーとして優れてるのはどちからかなどという観点は無かったように思う。

同じ記事を、普段使ってる自持ちの二台で撮ってみた。


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こちらがHuaweiのP20LITEで撮ったもの。

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これがiPhone6

結果は一目瞭然、iPhoneの勝ちだ。ファーウェイで撮ったものは、もはや字が潰れて読めない。元の写真ではしっかり撮れているのだが、なぜかアップすると読めない。原本でも、何か字が細くてギラギラした感じがする。一方、iPhoneでは新聞の紙の質感って言うか、字体のやさしさもうまく表している。写真データを扱うアルゴリズムの差なんだろうか?

「新聞好き」の私としては、断然iPhoneだ。

それから今の二つの写真をはてなブログ上で比べてたら、iPhoneの方のはてブログでは、載ってる写真をダプルタップすると拡大して新聞記事を読めるのだが、Androidの方では、それが出来ないのだ。こんなこと知らなかった。

ちよっと、この差は大きい。全面的にiPhoneに移行する理由にもなりうる。PDFの扱いなんかでもiPhoneAndroidより便利だったのだが、こういう事も分かってくると、かなりiPhoneに傾いてしまう。

 

 

早速iPod touchで書いてみたけど。

早速iPod touchで書いてみたけど、今度は小さすぎると感じた。で、HuaweiのP20LITEで書いてみたら、「うーん、これくらいがイイかなぁ」って感じた。やっぱり、次はiPhone7か8がいいのかなぁ。好奇心で頑張ってもXsだ。XsMAXとかXRは無いと思う。

自分的にはiPhone6から8がサイズ的にも重量的にも、そして手触りもベストな選択だと思ってる

今持ってる中華は、Kindle端末として使ったらどうだろう。ブラウザー専用機としても良いだろうし。でも、文章を入力する端末(私の中では、それがメインだということ)としては、iPhoneが一番だと思う。

 

ところでタブレットって、街中では驚くほど使わない。それこそ大きめの画面を持ったスマートフォンで十分。

私においてスマートフォンっていうのは、自分の「文章作成欲」(そんなものがあるのか?)を満たすためのツールなのだ。

それに合ったものが、今のところHuaweiのP20LITEなのだ。

端末重量問題

新しい端末が欲しくてたまらない。いや、「たまらない」って程でも無いか。でも、終始そのことを考えている。iPhoneXsか、Huawei Mate20Proか。あるいはその両方か。 

でも、大画面のスマートフォンを使ってて気づくのは、その「重さ」だ。私的には文章を打つ最良のツールはiPod touchだと思ってるので、最近の端末は、大画面ゆえ見栄えはイイが、実際は使ってても重さが気になるかも。

例えば三方ベゼルレスのXiaomi Mi Mix2は、画面は大変快適だが、185gという、その重さはちょっと不便だ。常に重量を感じてスマホを弄っていることになる。

iPhoneXsMAXの重量は234gだと言うから、ちょっとお話にならない。XRも194gあるし。最新のiPhoneはダメかなぁ。Xsは177gだから、どれも選びにくい。iPhone7なら138gなんだけど。

今のところ気に入って使ってるHuaweiのP20LITEの重量は、145g。やっぱり重量が150g越すとしんどい。もしかしたら、今の私には、このHuaweiP20LITEが一番なのかも。憧れのMate20Proだって189g。この「重い」Xiaomiと一緒ぢゃないか。

皆はこの「重量問題」感じないのだろうか。iPod touchなんか、なんと88g。XsやMateの半分の重量だ。

私的にはネットサーフィンは大画面の中華でやって、文章入力はiPod touchでやったらいいかなと思ってる。そんな邪魔くさいことするヒト、他にはいないだろうけど。私は大学のレポートなんかもずっとiPod touch片手に書いてきたので、そういうスタイルにスゴい愛着があるのだ。逆にそういうことが出来ない最近の重量級端末には馴染めないかも。

まぁ、こういうことに気がついたのも、重いXiaomiの端末に触って初めて分かったことだ。

ちょっと棲み分け考えようかな。