双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

フーゾクから得る自由

自分の銀行口座を確かめた。この1年で40万円以上を出金している。それらは丸々オナクラというフーゾクに使った。もしオナクラ通いが無かったなら、大抵のものは買えたはず。 経済的に見れば、ホント馬鹿なことをしている。 しかし、オナクラに行くことでワタシがリアルな生活でトラブルや犯罪を引き起こしたりすることを回避できたとは考えられないか。それこそが、ワタシが自分に対してオナクラに行くことを正当化する理由でもある。 ワタシの生活は大雑把に言って、オナクラ前とオナクラ後に別れる(悲しい基準だが)。 オナクラというものを知る前は、若い女の子をデートに誘い、洒落たレストランやバーなんかによく行っていた。でも、結局のところメッシー(女の子にご飯を奢った)しただけで、女の子にキスしたり肌に触れたりということはほとんど無かった(あっても職場がらみの人間関係なので、それはそれで邪魔くさいし)。 どれも楽しい「デート」だったのだが、「性欲」という欲望の本丸が満たされる事は無い。 ところが「オナクラ」っていうのは、本番こそ無いものの、直球で性的欲望を満たしてくれる。若い女の子の肌にふれられて、乳を舐め、(場合によっちゃあアソコやアナルも舐め)、バギナに指を入れてその感触を楽しむことが出来る。まさに性的欲望をすっごくお手軽に叶えてくれる「性欲のコンビニ」みたいなところ。さらに言えば、最近のフーゾクは女の子の質もいい。リアルな関係で知り合う女の子よりもルックスも体もイイくらいだし、何よりも自分で自由に女の子が選べるのだからスゴいではないか。 「オナクラ」通いを始めてからは、女の子をデートに誘うことも無くなった。だって、オナクラの方が、十分過ぎるくらい女の子を「堪能できる」のだから。たまにオナクラで女の子を味わえるなら、後はコンビニ前で缶酎ハイで全然イイ。洒落たレストランなんて行く必要無し。少なくても今のワタシにとっては。 つまり、「オナクラ」を知ることで「剥き出しの自分」がそのまま発揮出来るようになったのだ。それってひとつの自由ぢゃないだろうか?