双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

スマホセラピの時代

例によってフーゾク(オナクラ)に行ってきた。今日の女の子はかなり濃い女の子で、20歳直前なんだけど、かなり積極的な感じ。ワタシの下卑た欲望をそのままストレートに満たしてくれた。

でも、そういう子に思いっきりサービスしてもらったり、逆に(指使って)サービスしてあげて自分の欲望を満たすと「一体いつまでバカなことしてんだ?」っていう気になってくる。大枚はたいて女の子に相手をしてもらい、女の子に触れて自分を満たすってことを延々と続きている。不毛だし不経済だし、何よりもなんだかバカげてる。人間は時に馬鹿なことして息抜きするもんだと言い訳してみても、こんなに馬鹿な事を大量にし続けることもあるまい。

このブログだって自分のオナクラ通いをやめるために始めたはずなのに、オナクラ日記みたいになってしまっている。

そういう訳でもう、ちょっとおんなじ事を繰り返すのは止めたいと思えるようになってきた。具体的には酒を止めたい、オナクラ通いをやめたい、女の子にところ構わず欲情することをやめたい。

逆に前やっていてじぶんもそれに満足していたことに戻りたい。それは旧いMacに向かってエンヤとか聴きながら文章書いたり、スタバに15インチのMacBook持ち込んで悦に入ったり、気取って洋書読んだりすることで自分の時間を過ごしたいのだ。

そうやって自分に自分の事情を聞いてやって、自分の中にあるものを明らかにしていくのだ。

今のスマホはかつてのMacセラピー(デスクトップのベージュMacでその動作音に聞き惚れながら駄文をひたすら打つ作業のこと。自分で自分のために編み出した一種のセラピーだと思っている)の延長にあるので、自分を掘り下げ自分のことを聴いてやるための道具だ。

自分セラピーのための道具って不思議で、その道具の持っている味とかオーラとか空気みたいにまとっているものが重要だ。今でも出来たらあのベージュMac6200/75を取り戻したいくらい。

あの頃のワタシ(今からもう20年以上前?)って、あのベージュMaciMac(CRT一体型の初代モデル)さえあれば、なんだかシアワセだった。あの頃の感覚に戻れたらイイんだけど。