双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

さて、今週も堕落した毎日を送るのか。

土曜日日曜日とジャンキーで非生産的な時間を過ごしてきた。新しい週のスタートになるんだけど、さて、今週のフーゾク(オナクラ)通いはどうしようか。欲望のままに言えば、若い子に又触れて抜いてもらってという快楽に及びたいんだけど、おカネの方はハンパ無く使っている現実がある。

ところが今はラッキーなことにそれなりにおカネが入ってきてる。いや、だからと言って労働や見識の結晶をフーゾクに使ってしまっていいのかという迷いもある。しかし、そんな真っ当な自制論よりも欲望を解放した方がイイかなとも思ってる。イイというよりも我が身にとって安全だと思ってる。

たとえば、世の中に己の性欲を統御出来ずに滅んで行く輩がどんなに多いことか。

未成年を呼び出してエッチしたり、電車で痴漢に及んだり、知人女性に覆い被さったり、オノレの性欲を場や時もわきまえずに発露させてしまったがためにお縄を頂戴した挙げ句、職と退職金までも失ったりするアホが多過ぎる。それくらい負のエネルギーが溜まりまくっているんだろう。

その多くはフーゾクに行けば解決出来た問題だと思うんだが、彼らの多くは自由になるおカネが無いばっかりに「犯行」に及んだんだろう。

どこかのタレントがコロナの時期にはカワイイ女の子がドンドンフーゾクにやって来てくれることになるだろうから嬉しいと本音発言して叩かれたけど、彼は露骨な事実を何の悪びれもなくぶっちゃけてしまったのでそういう目に遭うことになったんだろう。

確かにオナクラに来てる女の子のルックスやオーラの偏差値の高さはかなりのものだ。どうみても高嶺の花の女の子がちょっとしたおカネさえ出せば、胸をはだけて乳首を舐めされてくれたり、アソコやアナルを責めさせてくれる。店舗以外でこういう事に及ぼうと思ったら、あんなレベルおんな若さの女の子に出会う事ってほぼ無いし、知り合えたとしても最後は強姦めいたことになるのは間違い無い。そういうのが出来る関係になったとしても、それはそれで邪魔くさいし。

だとしたら、ワタシはフーゾクに行くことで自分を犯罪から遠ざけて頂いているのではないか。「ありがとうフーゾク、ありがとうオナクラ」と言ってもイイんだろう、多分。

歳を重ねるにつれてその辺のコントロールが出来るんだろうと何気に思ってたけど、実際は全然そんな事無い。女の子に触れたいというシンプルな欲求は若い子の肌に触れて恥ずかしめを与えたい(実際女の子の方は全然平気だけど)というどっか歪んだ深い欲望に変わっていく。

電車でもバスでも街中でも若い女の子を見ると、その肌の輝きを食い入るようにみつめ、ツヤのある髪を想像の中で愛撫している。

コレって犯罪の1歩手前では無いのか?映画「羊たちの沈黙」の中でも「シリアルキラーはその目が常に生け贄を探している」みたいな表現があったけど、まさにそういう感じ。ワタシの目が常に自分が欲望の対象とできる娘を探し求めているのだ。そういう子に出逢えば、その子を目で追い、すれ違いざまにその匂いを嗅ぐ。視覚嗅覚だけでもオノレの欲望を満たし、その女の子(獲物)に近づこうとしているのだ。

これ程女の子がスキなんだったら、それを自分の一等の「趣味」と定め、これまで自分の趣味だと思ってたスマホとかのガジェットにはもうおカネを掛けないようにしようと思ってる。結局このブログの目論見は失敗ということになるんだけど。