自らの社会的破滅を救うもの
【衝撃事件の核心】しょうゆ差しに入れたのは…教職男の転落(1/3ページ) - イザ!
ネットのB級ニュースサイトによく出てくるような下らない事件だ。「ざまぁみろ」って感じ。
でも、教職について30年、教育委員会で仕事していたオトコが、なんで女子高生に自分のスペルマかけるのに執念燃やすんだと思う。それってホントしなきゃならないの?
通勤時に見かけて、そのJK惹かれたんだろう、いい歳のオッサンが。この犯人はそのJKを「自分のものにしたい」という願望を持つようになり、それがスペルマをかけるという行為に結びついたと供述している。学校の先生ともあろうものが何言ってるんだ?下らないし、バカバカしい。これでウン千万円という退職金もフイになっただろう。職も失うだろうし。家族にも見放されるかもしれない。バカとしか言いようが無い。
しかし、ここで思う。それって本当に「当然の報い」なのか?女の子にスペルマ「かけたくらい」で職も金も家族も失わなければならないのか?何十年も働いてきた全てを失わなければならないのか?やった事と失うもののバランスはあまりにも乖離していないか?
心のどこかでこの愚かなオトコはワタシだと思っている。そんな事思う自分に驚くけど。JKという、自分の歳の3分の1にも満たない少女に性欲を覚え、その性欲によって掻き立てられた妄想と衝動に突き動かされている愚か者、このオトコはワタシではないのか?
若い女の子が心底スキという、老いたニンゲンのオスが自らの性欲をストレートに発出してしまったがために自滅していく、その愚かさはまさにワタシの愚かさではないのか?
もしワタシとカレとに何がしかの差があるとしたら、ワタシはフーゾクという方法で、その愚かな欲望を解消してもらっているということ、それしかない。
自分にとってはかなりのおカネを払い、その対価として若い女の子に自らの欲望を発露させて「頂いている」。その結果、街中で見ず知らずの若い女の子に性的なアクションをするなどということは考えない。
ワタシが通うオナクラでは、女の子はカネのためと割り切っているので、こちらの欲望を自由に女の子に向かって放出させてもらっている。文字通りスペルマを女の子のカラダにかけたりつけたりすることも自由だ(ワタシにはそういう願望は無い)。
ワタシがやっていることは汚らわしいし、超絶下らないが、それによって、自分が逮捕されたり会社をクビになったりという社会的な破滅から救われているのだ。この事実は大きい。
そう考えると、やっぱりフーゾクは止められない。自分に課された「業」だと思って、その「合法的」解消を図るしかないのだ。
ただそうなると、今度は自分の経済的破滅という問題も出てくる。若い時はスポーツして解消出来ていたはずなのにな。ワタシは人間として退化してるな、やっぱり。
このブログを投稿したのは2021年の10月24日。今から1ヶ月ほど前のポストだ。自分でも自分の業欲の行方をよく書き表してるなと思う。このポストを読んで、ホント自分の性欲の処理なんとかしなきゃ(いつまでもフーゾクで晴らすのはどうか)と思うと同時に、自分が生きているうちはこの業や欲から逃げられないんだろうなと思う。
それでも世のオトコみんながみんな風俗を必要としている訳では無い。そういう形に自分を収めたいと思っているのだ。上手くいく可能性は少ないけど、そういう自分にはなりたい、、、とは思っている。