双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

中華Androidに安堵する

昨日はこのOPPOの中華Android端末を地面に叩きつけてやろうかとなかば本気で考えていた。理由は文字入力があまりにもしにくいから。iPhoneならそんなことは無いのでiPhone一択の生活に変えようと思った。

でも、止めた。

理由はiPhoneがカンペキ過ぎるから。そのカンペキさがワタシの精神を煮詰めさせてしまってビョーキを引き起こすから。ワタシにはどこか変な生真面目さがあって、全てを整然とさせてキマリにしたいという「カンペキな仕上げ」を志向するところがある。モチロンそんな物は無いので常に最終形をキメて終わりにしたいとウジウジイリイリしているのだ。

このビョーキの根本は「カンペキな最終形」を求めるところにある。その最終形のイメージに近い「整然とした」ガジェットがiPhoneなのだ。

その「整然とした中に実を置いて安心(ナンの安心?)したい」という安心願望は全てをApple製品にしてAppleのエコシステムに「取り込まれたい」という包摂願望に変わっていく。俗に言う「Apple信者」という人々はこういう経緯でAppleという会社の戦略に取り込まれていくんぢゃ無いだろうか。

そういうワタシの一方で「そんなに一様のものに取り込まれるなんて真っ平ゴメンだ」というワタシがいる。多分こちらの方がマトモ。

中華Androidは中途半端であったり、洗練度に欠けていたり、要は製品として未完成なのだが、そっちの方が建康なんだと思う。つまり、ガンペキはビョーキの始まりなのだ。

中途半端な中華製Androidはワタシ向けの端末だ。その事を忘れて全部Apple製品でまとめて行くなんて事をしてはならない。