双撃日記

「中華ガジェット」はわが癒し。

HuaweiP20の使い心地

最近はMacBookiPhoneで「どやラー」するのがマイブームになってるので、Androidばっかり、ってこと無いんだけど、やっぱり新しく買ったHuawei、かなりイイ。iPhoneがXになった、って言っても、そんなに目新しくなった訳ではないから、実質Huaweiはサイコーの端末だって言ってイイと思う。

何故かAndroidには、野暮ったいイメージがついて回るけど、自分が全くスマホ初心者で、せーの!でiPhoneHuaweiを触って、さらに値段を見たら、きっとHuaweiの方を選ぶと思う。

iPhoneには良くも悪くもブランド感があって、使う方もどこか気取った気分になる。その極端な形が「どやラー」だと思う。

一方、Androidにはそういう高級イメージや気取り感は無い。でも、これはこれでいい。

「どやラー」再開して一週間。

おはようございます。「どやラー健康法」推進中です。週末は「どやラー」もお休みでした(街に出ないので)。

ひとつ、懺悔しなければならないことが。土曜の夜に余りにも寝苦しかったので(言い訳)、アルコール(缶ビール)行ってしまいました。その次の日の、日曜の朝はアサヒビールのノンアルコールビアーをあおり、どうも「ビールのもたらす爽快感」から逃れられていないようで。やっぱ、生活習慣変えるって難しい(又言い訳)。

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でも、「どやラー健康法」は続けます。なんと言っても、スタバは気分良いし、マックやiPhoneは、それに触れることで前向きになれる。(多くのヒトには理解不能か)

その点Androidは、自分的には常に等身大で、コスパ良くて、実質的な必要を満たしてくれる。これまでの私はそういう「地に足の着いた」Androidがスキだったんだが、今はそうでは無い。

等身大の自分、本当の自分と言って、ある種の見栄や高級イメージ志向を失ってしまうと、結果として自分を甘やかしてしまうことになってしまい、最終的には自堕落になってしまうのだ。それで自分なりに思い立ったのが、どやラー健康法という訳なんだけど、要は「自分が良けりゃ、それで良いんだ」という考え方をせず、「見た目」「スタイル」ってものを大切にする、ってことだ。

だから、「どやラー」は「見た目」ばかり気にする、中身の無いヒトたちっていう風に言われるけど、それでいいんだ。って言うか、「どやラー」の人々は、スタバやマックのもたらす「気分のよさを感じる」ことで、自分の仕事や生活にハリを与えているんぢゃ無いだろうか。

「どやラー」健康法。

私は今、「ドヤらー」健康法を実践している(只今3日目)。アルコールとジャンクスナック摂取量が増える一方の、自分の生活の進路方向を変えるべく、敢えて「ドヤらー」になって、スリムな体(かつてそんな状態があったかどうかは不明)と良好な健康診断の数値を手に入れるべく始めたのだ。

ところが結構、これが辛い。今まで欲望の垂れ流し状態で来たので、すぐ誘惑に負けそうになる。腹が減れば何か甘いものや脂ぎったものが欲しくなるし、暑い中ノドが乾くと、どうしてもビールでも!って気になる。今もすんでのところでスナックとビールを自分に許すところだった。そこを何とか踏ん張って、ビアテイストのリフレッシュ炭酸飲料というのを買った。作っているのはサントリーで、ホントにZEROカロリーだ。すごい。って言うか、ありがたい。暫くはこの「ALLfree ALL TIME」って言う、ノンアルコールのスピンオフ飲料(何が何だかよく分からない飲み物だ)とコンニャク畑を所望していこう。

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ところでドヤらーになって、コンビニやスタバの無料WiFiを利用するようになった。危険なのかもしれないが、私には有難い。

今、SIMはAndroid系端末にしか入れてないのだが、無料WiFiのあるスタバやコンビニでしかiPhone使わないのなら、こうした端末にはSIM入れない方がイイかもしれない。SIMをインストールした端末でスタバやコンビニなどWiFiのある店の前なんか通ると、そっちに接続してしまってイライラするのだ。こういう棲み分け、アリかもしれない。

 

アキバに来た。

オタクとガジェット好きの聖地、アキバに行った。前に来た時と比べて随分様子が変わっている。私の記憶違いか?秋葉原らしい雑然さが消えて、大きくてクリーンなビルの街になっていた。ここに来たのは、新しいスマホをゲットしようと思ったから。せっかく東京に来て、関西にもあるものを揃えている街に来なくても良かったんだけど、今使ってるiPhone6が絶不調なのだ。画面がフリーズしてしまって、タップしても何しても反応しない。街ブラしててココ!って言う時に反応しないのハラ立つ。

そんな時、東京ミッドタウン行った時に、GALAXYの体験展示会をやっていた。そこで全画面かつ大画面のGALAXY9と9+を触って、スマホの進化のスゴさを思い知った。なんて楽しくて、快適な端末なんだ。

それで私の頭の中に思い浮かんだのは、いっそのこと、この夏のモデルであるGALAXYを求めて、すぐさまにアキバに行こうということ。

それでやって来たのだった。

欠陥iPhoneをガシガシ使う。

私が今使っているiPhoneはかなりの欠陥品だ。私はiPhoneというブランドに半ば憧れ、半ばこれを憎みながら使ってきた。「iPhone使ってりゃ間違い無い」、こういう思考回路には、ある種共感を覚えるが、やっぱりそういう安易な権威主義は許せないとも思う。とにかく後光あるゆえに邪魔くさいのだ。このようなiPhoneという集積回路につく「物神」が事態と人の意識をややこしいものにしている。

この「物神」ゆえか、私はiPhoneに気を使っている。入力のレスポンスが悪くてフリーズも日常茶飯事なのに、まだiPhone使ってるってどういう事だ?自分でもバカだなあとは思うけど。

もう「クズ」にはなりたくない。

この世には「クズ」みたいな、って言うか「クズ」としか言いようのない人間がたくさんいる。私の母方や父方はそういう人間を多く生み出す家系らしい。家族親戚見渡すと結構タイヘンなことになっている。私も確かにその血を引いていると思う。自分ではまだマシな方だと思っているが、「クズ」ほどそうやって自分を免罪するので、自分でも自分の言説など信用出来ない。

「クズ」かどうかを知るためにはカネの使い方を見ればスグにわかる。貧困は社会の問題だとよく言うが、それは新聞やメディアがよく見せる営業上の表現に過ぎない。貧困は十中八九そいつの責任であって、国家の責任ではない。分不相応の買い物、無駄な買い物の連鎖、計画性の無いカネ遣い、それに尽きる。今の日本で餓死することは無い。今の日本はかつて無いほどの社会主義国家なのだ。それはともかく、私のクズっぽいカネの使い方は3つある。それは「株式投資」、フーゾク、ガジェット製品の無駄買いだ。自分には投資の才能があるかの如く思い込んで、せっかく働いて得たカネを「投資」と呼ばれるドブ川に捨ててきたし、「癒し」と称してはフーゾクに赴き、オーディオ製品からPC・ガジェットを次から次へと買い込む。救いはそれを経済的に破綻するほどやり込むことは無いということか。その辺の計算は理解出来るらしい。しかし、自分では認めたくないが、私のクズ度はかなりのもんだ。

 

ブログの方向転換

これまで、このブログは基本として「中古端末は我が癒し」ということで書いてきた。しかし、今では私の趣味もかなり変わってきており、って言うか、自由になるお金を得たので、いわゆるコストパフォーマンスというものには前ほど拘る必要が無くなってきたのだ。

そうなると、日本のスタンダードであるiPhoneの弱さが分かってくる。これまでのようにiPhoneは高嶺の花では無くなったので、それへよ志向を抑圧する必要も無くなったのだ。

ココロのどこかでは、スマホタブレットも全面的にアップル製品に移行していいかなとも思っている。

しかし、ちょっと冷静になって考えると、Androidの製品にも、それなりに魅力のあるモノも多い。XperiaやGALAXYなんか、その代表だ。

私はXperiaを持っているが、これが結構いい感じだ。